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麻生山田炭鉱のホッパー2基が解体される  



旧・麻生産業山田炭鉱(福岡県糟屋郡久山町)の一部遺構が解体されたことを某所で知りました。先月に現地へ行ってきたので、遅ればせながら簡単に報告します。今回の記事で使用する写真は、特に注釈のない限り2017年2月の撮影です。

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※2014年3月撮影

解体されたのは精炭ポケット(写真右手前)と選炭機原炭ポケット(左奥)の2つ。いずれも選炭場跡に位置するホッパー(石炭を一時貯蔵する漏斗状の設備)で、外部からも目に付きやすいため、同炭鉱の代表的な遺構として知られていました。

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※2014年3月撮影

在りし日の精炭ポケット。近年は藪に飲まれつつあり、容易に近づけない状態でしたが…

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すぐ手前まで雑草が刈り取られ、このように一部を残してすっかり解体されていました。

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※2014年2月撮影

こちらは選炭機原炭ポケット。選炭場のある丘の頂上付近に位置し、中々に目立っていましたが…

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現在はこの通り。ちなみに手前にあった骨組み状の遺構も撤去されていますが、写真左手に重機が出入りした跡があること、他の中小規模の遺構には手を付けていないことを踏まえると、どうやら工事の主目的は先に示したホッパー2基の解体であるようです。

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※2014年3月撮影

これらの解体に至った事情は全く存じませんが、どうにも先述した「外部から目に付きやすい」ことが関係しているのでは…と思えてなりません。どことなく後ろめたいような、少々複雑な気持ちになってしまいます(と言いつつ、こうして取り上げている訳ですが)。

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何はともあれ、麻生山田炭鉱では主要な坑外施設の遺構がひととおり残っていただけに、その一角を占める存在が欠けてしまったことは非常に残念です。このような図を作りかけたまま2年以上放置していましたが、今年は閉山50周年という節目の年でもあるので、そろそろ過去に書いた記事を手直ししていきたいと思います。

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category: その他

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田川市の煉瓦遺構  

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田川市の煉瓦遺構(橋梁跡?)
福岡県田川市日の出町・大字伊田/明治後期~大正?/煉瓦造

引き続き田川市より。今回は用途・建設時期は不詳ながら、何とも気になる煉瓦造の遺構をご紹介します。

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場所は前回の伊田架道橋(写真奥)から南西へ100メートル余り。かつての三井田川炭鉱 伊田坑の敷地に挟まれた一本道の途中、小さな商店や飲食店が軒を連ねる道路沿いに、赤煉瓦の構造物がポツンと立っています。

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道路側の上部に床石(橋桁を受ける部分の石)らしき造りが見られるため、恐らく道路を跨いでいた橋梁の跡と思われます。裏側が削られているので判断に迷いますが、たぶん橋脚ではなく橋台でしょう。高さは大体4メートルほどで、伊田架道橋のそれよりも若干高いぐらい。

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一方で横幅は2メートル前後と、やや狭い印象を受けます。このためJR・国鉄の在来線の軌間(狭軌=1067ミリ)よりも狭い、炭鉱専用の軌道の橋梁ではないかと思いますが、軌道以外の設備である可能性も否定できず、やはり詳細はよく分かりません。

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もっとも、わざわざ煉瓦造でしつらえたからには単なる人道橋などではないでしょう。建設時期も伊田坑が開坑した明治後期から、煉瓦に代わってコンクリートが普及する大正以前に絞られるものと思われます。

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また、そういった由来を抜きにしても、この遺構には面白い特徴があります。道路を跨ぐ桁を支えていたであろう橋台が、道路脇の水路を跨いで建てられているのです。

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水路を跨ぐアーチ部分。断面形状は普通の半円ではなく、石坂トンネル(平成筑豊鉄道田川線)などと同型の扁平三心円のように見えます。

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上部の詳細。

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ちなみに道向かいの建物をよく見ると、室外機の背後にはよくある腰壁タイルかと思いきや、同じ積み方の赤煉瓦が覗いています。もう一方の橋台(または橋脚)が建物に埋もれながらも残っているようです。

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おまけ。西側に並行する国道322号の「新町国道」踏切付近に、何やら怪しい線形の取付道路(赤色の線で示した部分)があります。

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ややカーブが急な気もするものの、現・JR日田彦山線の線路へ寄り添うように折れ曲がっています。

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また、線路脇にあるJRの境界標(赤色の矢印)も随分と手前側に見られます。

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振り返って伊田坑跡の二本煙突を望む。仮に先の遺構が軌道の橋梁跡だったとすると、初期にはナローの軌道をここまで敷いて、国鉄の側線に横付けして積み出していたのかなあ…などと想像します。確証は全くもって無いのですが、こうして気ままに想像を膨らませるのも楽しいものですね。

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田川では他にも色々と見てきましたが、すべてを取り上げるとキリがないので、この辺りで一旦終了したいと思います。ただ、田川は直方のような派手さには欠けるものの、一見地味ながら味わい深い建物が多く残る街であり、一日ではとても味わいきれずに心の残る旅となりました。いずれ石炭博物館をじっくり見学するついでに、見落とした箇所を回りたいものです。

(撮影年月・2016年2月)

category: 土木構造物

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JR伊田架道橋  


JR九州 伊田架道橋
福岡県田川市日の出町・大字伊田/1896年頃/鋼製桁+煉瓦造橋台

引き続き、昨年2月に訪れた田川市より。今回はJR日田彦山線の田川伊田~田川後藤寺間にある伊田架道橋をご紹介します。田川伊田駅から西へ数百メートル、伊田商店街の本町通りから続く道との交差部に設けられた、鋼製の橋桁と煉瓦造の橋台による小さな陸橋です。

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この区間は1896(明治29)年2月の開通で、着工は前年10月。現在の平成筑豊鉄道 田川線(行橋~田川伊田間)と同じく、もともとは豊州鉄道*1 という会社が、田川郡で産出される石炭の輸送を主目的に建設した路線です。このため、内田三連橋梁に代表される平成筑豊鉄道の橋梁群と同様に、起点の行橋から見て左手に「下駄っ歯」と呼ばれる工法が用いられています。

内田三連橋梁(Wikipedia)

下駄っ歯とはあらかじめ側面を凹凸状に仕上げることで、将来に拡幅工事を行う際、煉瓦をかみ合わせて接合部分の強度を保てるようにしたもの。同線は単線で開業したものの、将来の石炭輸送量の増加を想定して建設されており、実際に98(同31)年には行橋~後藤寺間の複線化の認可を受けていました。しかし、不況による資金難などで着工には至らず、また九州鉄道への合併によって複線化の必要性が薄れた*2 こともあり、結局は単線のまま今日に至っています。

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ところで、この橋梁のもう一つの特徴として隅石(コーナーストーン)の存在が挙げられます。隅石自体はごくありふれたものですが、注目すべきは下駄っ歯側にも施されている点。前出の内田三連橋梁は下部の石積み部分も凹凸状に積まれており、また同線には石造の下駄っ歯橋梁の例も複数ある*3 ものの、ここではそうした仕上げが見られないばかりか、やや表面の粗い石が使われています。煉瓦の部分には下駄っ歯がしっかり施される一方、隅石には拡幅への配慮が窺えないという、少々ちぐはぐな状態となっているのです。

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下駄っ歯が単なる装飾ではないのと同じで、一見ちぐはぐに思えるこの状態にも、恐らく何らかの理由があるのでしょう。もっとも、それが何なのかは残念ながら分かりませんが…多少関係してそうなものを街中で見てきたので、以下に二つほど取り上げておきます。

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まず一つは彦山川に架かる番田橋。伊田架道橋から北東方向、400メートルほど直進した先にある古いRC道路橋です。道幅が狭い割にはしっかりと造られており、ここからさらに進むと国道322号との合流を経て、香春岳(写真奥)の麓にある旧秋月街道の香春宿へと至ります。

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※画像クリックで拡大

いま一つは南西へ1キロ弱、切り通しに差し掛かる手前にある縣道開鑿紀念碑(県道開削記念碑)という古い石碑。この周辺はかつて岩峠という険しい坂道でしたが、1912(明治45・大正元)年から翌年にかけて開削され、これによって伊田・後藤寺の両市街地が「初めて平坦な道路で結ばれた」とのこと(『田川市史』より)。また後藤寺の先は国道322号との再合流を経て、香春の次の宿場町である猪膝宿へと至っています。

以上二つを踏まえると、伊田架道橋は旧秋月街道か、その代替となる重要な道路に架かるものだったことになります。そうなると先述した「何らかの理由」ですが、道路の改良に伴う補強とは考えられないでしょうか。例えば竣工当初は純煉瓦造だったものの、複線化の見込みが無くなってから道路拡幅が行われ、その際に補強として隅石が追加されたと仮定すれば、下駄っ歯との不自然な同居も説明がつきます。



これらの位置関係をマップにまとめると、伊田架道橋(黄色のマーカー)が伊田・後藤寺を結ぶメインルート(赤色)にあったことが容易に想像できます。ちなみに国道322号のうち、このルートに並行する区間(青色)は、前掲書によれば県道福岡行橋線の一部として1934(昭和9)年に開通したとのこと。以後はメインがそちらに移ったことや、コンクリートではなく石材による補強(という仮定)を踏まえて考えると、改修時期は明治後期~昭和初期でしょうか。

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ただし、隅石が当初から存在していた可能性も否定できません。伊田架道橋から南西へ進んでいくと、田川後藤寺駅構内の奈良架道橋(上写真)、さらに田川後藤寺~池尻間(未訪、マップ参照)の2か所で線路を潜るのですが、いずれの架道橋も下駄っ歯は確認できないものの、橋台の四隅すべてに隅石が見られます。他の橋梁での有無までは調べていないので、これまた仮定となりますが…「主要道路に架かる橋梁に限り、装飾目的で隅石を施す」「輸送量増加が見込まれる区間の橋梁は、複線化に備えて下駄っ歯を施す」という別々の方針があり、それが伊田架道橋では偶然重なったのではないでしょうか。

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長々と妄想を膨らませましたが、この隅石が当初からのものであろうとなかろうと、下駄っ歯と併用されているのが珍しいことには違いありません。見た目は地味ながら色々と考えさせられる、何とも興味深い存在だと思います。

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終わりに、橋梁全体をひと通り見ておきましょう。こちらは田川後藤寺側の橋台で、起点から見て左手の面(南側)。

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橋台下部と上部の詳細。

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同じく、右手の面(北側)。下駄っ歯はありません。

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こちらは田川伊田側、下駄っ歯のある左手。

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同じく右手。ちなみに橋梁名称は橋桁のこちら側に書いてありました。

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以上、JR伊田架道橋でした。次回はこの付近からもう1件ご紹介します。


【脚注】
*1 現在の福岡県行橋市に本社を置いた鉄道会社。1889(明治22)年に創立し、95(同28)年に行橋~伊田間で開業。99(同32)には同線を川崎(現・豊前川崎)まで延伸したほか、福岡県と大分県で路線網を展開した。1901(同34)年に九州鉄道へ合併、のち国有化された。
*2 九州鉄道は1897(明治30)年に筑豊鉄道を合併し、伊田から直方を経て北九州の各港へと至る別の輸送ルートを確立していた。このルートは国有化後の1911(同44)年、直方~伊田間(現・平成筑豊鉄道 伊田線)の複線化により、ほぼ全区間が複線となっている。
*3 参考文献No.3によると、志岡川橋梁・勘久川橋梁・上伊田避溢架道橋・彦山川橋梁の4基(いずれも桁橋)で、切石積みによる下駄っ歯仕様の橋台が確認されている。

【参考文献・リンク】
1.『日本鉄道史』中篇 鉄道省/同/1921年(国立国会図書館デジタルコレクション
2.『田川市史』中巻 田川市史編纂委員会/田川市役所/1976年
3.「北九州地方の鉄道橋梁に見られるレンガ・石積みの構造的特徴に関する研究」小野田滋/1992年
 ※『土木史研究』第12号(J-STAGE
ALL-A > 鉄道 > JR・国鉄系の構造物 > 平成筑豊鉄道 田川線
豊州鉄道(Wikipedia)

【撮影年月】
 2016年2月

category: 土木構造物

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田川自治会館  


田川自治会館
福岡県田川市新町18-7/1958年/鉄筋コンクリート造2階建
設計:熊谷建築事務所 施工:久保建設

前回に続いて福岡県田川市より、伊田地区の西側にある田川自治会館をご紹介します。訪問時は祝日で開いていませんでしたが、玄関には県介護保険広域連合 田川・桂川支部の表札が掛かり、他にも田川郡町村会などが使用しているようです。推測するに同市と周辺町村、すなわち旧田川郡の自治体が連携を図るために設置した拠点施設と思われます。

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中心市街地に程近い高台に位置し、隣接して県の田川総合庁舎があるほか、北西一帯には市営松原団地(かつての炭鉱住宅街の跡地)が広がります。ちなみに前回記事の最後に取り上げた旧・服部医院もこの近くです。

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竣工は1958(昭和33)年で、横に長い平面を持つRC2階建て。正面(南側)には立派な木が並んでおり、外観が非常に見づらい状態となっていますが…

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※『福岡の建築 1956-1959』より。画像クリックで新規タブ/ウィンドウへ移動

竣工当時の写真がこちら。玄関ポーチを支える独特な形状の柱や、2階全面に用いられたカーテンウォールが印象的で、中々にモダンなファサードだったことが分かります。構造的には特異な点は無さそうですが、大まかなイメージとしてはリーダーズ・ダイジェスト東京支社(1951年/アントニン・レーモンド)に通じるものがありますね。

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現在は先述した植木の存在に加え、カーテンウォールの改修によって当初の開放感が損なわれているものの、玄関ポーチについては原型を留めています。

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向かって右側の支柱。小文字の「y」のようなアンバランスな形状で、断面は楕円形。

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※画像クリックで拡大

表面は人造石小叩き仕上げ(?)で、石の粒を練り込んだモルタルに細かい横線が走っています。この仕上げは左側の支柱も同様です(写真)。

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玄関左脇に掲げられた「田川自治會館」の銘板。

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館内の様子もガラス越しに少しだけ。入って左手にはタイル壁画があり、ボタ山や香春岳を背景に、数羽の鳥が描かれているようです。一説によると田川(たがわ)の地名は鷹羽(たかは)に由来するそうで、となるとこれらの鳥はタカでしょうか。

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右手にある階段も何やら変わった造りのようで、祝日に来てしまったことが少々悔やまれます。もちろん、仮に平日に訪れたとしても、見学・撮影の許可が貰えるとは限らないのですが…。

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覗き見はこのぐらいにして、外観を時計回りに見ていきます。

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正面からは分かりませんが、玄関より左の部分(西側)は奥行きが長くなっています。「会館」という施設名称から考えると、恐らくこちらの2階辺りに集会スペースがあるのでしょう。

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建物西側より見上げる。

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北西より、左側面と背面。

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背面は至ってシンプル。外階段が一際目を引きます。

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右側面は引きが取れないので、敷地の外から遠景。

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敷地南東の石垣も中々見応えがあります。

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最後に、再び正面。

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数年前に参考文献でその存在を知り、以来何となく気になっていた建物。ファサードのほとんどが木々に隠れていること、タイル壁画を目前にしながらガラス越しにしか見られなかったこと…多少の不満や心残りはありますが、ともかく訪問を果たすことができただけでも良しとしましょう。

以上、田川自治会館でした。


【撮影年月】
 2016年2月

【参考文献】
『福岡の建築 1956-1959』福岡県建築士会/同/1959年

category: 福岡県

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田川市の木造医院建築3件  

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去年の今頃に訪れた福岡県田川市の中心部より、古い医院建築を3件ご紹介します。いずれも詳細は不明ですが、昭和戦前~戦後期の竣工と思われる木造2階建て。


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福井クリニックの建物
福岡県田川市本町

1つ目は後藤寺のアーケード街の近く、福井クリニック(内科・消化器科・胃腸科)の敷地手前にある建物。一見単なる住宅のようですが、敷地の広さの割には随分と隅の方に建っており、また玄関脇には「ここは出入りできません」との注意書きとともに、背後に建つクリニックの出入口への経路を示した看板が見られます。これらの点から、現病棟が建てられる以前は診療所を兼ねていた、または診療専用の建物だったのではないかと思います。

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門構え。門柱と基礎は石貼り、塀は2色の玉砂利洗い出し仕上げです。

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玄関は左右非対称の構成に、青く塗られた建具が印象的。

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さらに左脇には飾り柱が付いており、幾何学的な彫刻模様が一際目を引きます。これは突き鑿(のみ)などの道具で木材を削り、表面を凹凸に仕上げる「名栗」(殴り、なぐり)という技法で、柄のパターンはこちらのサイトによると「網代柄」に近いようです。

有限会社 橘商店 > 名栗とは?

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敷地の右奥に現病棟があり、手前は駐車場です。塀の途切れ方を見るに、昔はこちらに住宅や庭園があったのでは、と想像します。

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おまけ。建物脇に「恩澤永劫」と刻まれた古そうな銘板がありました。恩澤(沢)とはめぐみ、いつくしみ、おかげ、といった意味とのこと。しかし、このような御影石の重々しい銘板、一体どこに掲げられていたものなんでしょう。


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旧 山本歯科
田川市日の出町

2つ目は伊田の国道沿いにある旧歯科医院。中央に玄関を設けたファサードは一見左右対称ながら、実際には窓と袖壁の仕様を変えて非対称としており、何とも独特で趣深い外観を呈しています。



建物は切妻造・平入りで、正面外壁のみオレンジの二丁掛けタイル張り。窓枠の水色や、窓回りの人造石洗い出しとの対比が鮮やかです。

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2階窓。向かって左は4枚の窓からなる横長窓ですが、右は横桟や欄間が加わり、寸法も若干違っています。

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また両端に付いている袖壁のうち、右の壁は横方向へ大きく張り出し、端部を斜めに切り落とした大胆な形状。

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一方、左のそれは前方へと控えめに突出し、壁自体も横へ倒れるように若干傾いています。

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もっとも側面の外壁は至って垂直なので、袖壁に付けられた傾斜や切れ込みは、恐らく純粋な意匠なのでしょう。

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少し離れた「伊田日の出町」交差点から。ちょうど緩やかな坂道に面していることもあり、こうした斜めの線をデザインに取り入れたのかもしれません。個人的には、田川で最も印象に残った建物の一つです。


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旧 服部医院
田川市新町

3つ目は日の出町交差点から西へ上った所。現在は下ろされていますが、数年前までは「服部医院」の看板が掲げられており、ググってみると内科・小児科の医院だったようです。モルタルによる真っ白な装いに、親しみやすい玄関回りなど、いかにも「まちのお医者さん」といった佇まいですね。

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妻壁には十字マークが付きます。

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角に面した玄関。緩勾配の薄い切妻庇、シンプルな飾り格子がモダンな雰囲気です。

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白く塗られた木製の門扉も良い味出しています。

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背面はL字に張り出しており、さらに後方には平屋建ての別棟が付いています。

以上、田川市の木造医院建築でした。

(撮影年月・2016年2月)

category: 福岡県

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