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2022/01/09 (Sun) 21:00

旧 かねしげビル


小倉北区魚町のビル(旧 かねしげビル)
福岡県北九州市小倉北区魚町2丁目3-19/1973年/鉄骨造4階建 
設計:葉祥栄、和久野博 施工:清水建設

 明けましておめでとうございます。今年最初にご紹介するのは、北九州・小倉の魚町銀天街に面するビル。1973(昭和48)年の完成で、当初はかねしげビルという名称でした。

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2021/08/29 (Sun) 06:00

三井化学J工場(後編)


三井化学大牟田工場J工場
(旧 三井鉱山三池染料工業所J工場/第2アゾ染料工場)

福岡県大牟田市浅牟田町30/1938年完成/鉄筋コンクリート造7階建 
設計:三井鉱山三池製作所? 施工:未確認 備考:2021年9月から解体予定

 前回📄に続き、三井化学大牟田工場J工場。後編となる今回は、過去3度の訪問で撮りためた外観の写真をひたすら並べていきます。大牟田工場は福岡ドーム(PayPayドーム)約36個分という広大な敷地を有していますが、J工場が建っているのは北西のほぼ隅といっていい場所。他の工場建屋に比べて一際高いこともあり、敷地外からその偉容を拝見することができます。
 一方、工場敷地は当然ながら関係者以外の立入りが禁止されているため、見学の際は必然的にアングルが限られることになります。しかし、私のような何のコネもない一部外者であっても、敷地内から間近に見上げることのできる貴重な機会がありました。大牟田工場主催のイベント、「オオタムフェスタ」です。

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2021/08/26 (Thu) 21:00

三井化学J工場(前編)


三井化学大牟田工場J工場
(旧 三井鉱山三池染料工業所J工場/第2アゾ染料工場)

福岡県大牟田市浅牟田町30/1938年完成/鉄筋コンクリート造7階建 
設計:三井鉱山三池製作所? 施工:未確認 備考:2021年9月から解体予定 

 福岡県最南端の大牟田(おおむた)市より、三井化学大牟田工場J工場をご紹介します。明治中期に官営三池炭鉱の払下げを受けた旧三井財閥は、国内随一の大炭鉱へ成長させるとともに、石炭を中核とする重化学工業地帯を築き上げました。その一角を占めたのが大牟田工場の前身、三池染料工業所です。もともとは焦煤(コークス)工場として石炭からコークスを製造していましたが、副産物からアリザリンやインジゴといった染料の合成に成功し、染料工場として発展。昭和初期には三井鉱山(株)全体の純利益の2~3割を占めるまでになり、1941(昭和16)年に三井化学工業(株)として独立しました。
 J工場は合成染料事業が盛んになる1930年代、アゾ染料の設備拡充の一環として建設されたものです。高さ47メートルと当時としては破格の高層建築で、長らく地域のランドマークとして親しまれてきました。産業史・地域史の観点からも高い評価を受けており、2007年には経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。
 しかし、石炭化学から石油化学への転換などに伴い、大牟田工場における主力製品も変容していく中、三井化学は08年3月をもってJ工場の稼働を終了。さらに16年の熊本地震後に行った調査で耐震強度不足が判明したことを受けて、同社はJ工場の解体を決定しました。解体工事は来月から始まる予定です。

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2019/07/14 (Sun) 09:00

旧 中本呉服店


八幡東区西本町のビル
(旧 中本呉服店 → 八幡総合授産所ほか)

福岡県北九州市八幡東区西本町1丁目6/1934年?/鉄筋コンクリート造3階建
設計:不明 施工:鴻池組? 備考:2019年8月に解体予定 

今回は小ネタです。つい先日、以下の新聞記事が(私の)ヤフートップに出ていました。北九州市のとある廃ビルに関する記事で、来月に解体されるのを前に、ビルの秘めた歴史に迫っています。私もこのビルを1回だけ見たことがあり、謎めいた佇まいが印象に残っていました。

 八幡製鉄所の「企業城下町」として発展した北九州市八幡東区西本町に、戦前に建設されたユニークなデザインの廃ビルがある。戦後は職業訓練を施す「八幡総合授産所」として使われたが、もともとは何のビルで、いつ建てられたのか、住民の記憶からも消えていた。8月に解体、撤去される見通しとなり、地元の郷土史家たちが調査すると、「謎のビル」の数奇な歴史が浮かび上がってきた。(中略)
 土地台帳を調べると、所有権は何度も移転していた。さかのぼっていくと「八幡市」「八幡製鐵」「中本呉服店」とあった。34年発行の書籍に、ビルが「建築途中」という広告が出ているのが見つかり、旧棟はそのころに建設されたことが分かった。(後略)

※西日本新聞 2019年7月9日(火)配信記事(いつ、何のため?北九州に“謎のビル” 調査で浮かんだ数奇な歴史)より引用

引用文中にある通り、ビルの建築時期は1934(昭和9)年頃。所有者は何度も変わっていて、そのうちの一つは「中本呉服店」とのことです。

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2018/10/13 (Sat) 21:00

JAにじ浮羽支店


JAにじ浮羽支店(旧 浮羽町農業協同組合本所事務所)
福岡県うきは市浮羽町朝田584-1/1963年/鉄筋コンクリート造2階建
設計監理:石井辰男(浮羽町役場振興課) 施工:善工務店

今回はJAにじ浮羽支店をご紹介します。福岡県うきは市にあるJAの施設で、1963(昭和38)年に浮羽町農協の本所事務所として建てられました。96年に近隣2農協(福岡吉井町・田主丸町)と合併して「にじ農業協同組合」が発足し、その支店となって現在に至ります。

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2017/09/23 (Sat) 09:00

門司電気通信レトロ館


NTT西日本 門司電気通信レトロ館(旧 逓信省門司郵便局電話課庁舎)
福岡県北九州市門司区浜町4-1/1924年/鉄筋コンクリート造3階建
設計:山田守(逓信省経理局営繕課) 施工:橋元組 or 橋本組

今回は門司電気通信レトロ館をご紹介します。北九州市の門司港レトロ地区にある、NTT西日本所有の電話設備や資料を保存・展示する博物館です。1924(大正13)年10月の竣工で、もともとは門司郵便局電話課の新局舎として建てられました。

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2017/05/27 (Sat) 18:00

旧 飯塚市庁舎


飯塚市役所 旧庁舎
福岡県飯塚市新立岩5-5/1964年4月/鉄筋コンクリート造4階建(地階・塔屋付)
設計:三井鉱山三池? 施工:大成建設 ※2017年7月より解体予定

今回は福岡県飯塚(いいづか)市の市役所庁舎をご紹介します。自治体庁舎を取り上げるのは何気に初めてですが、北隣に建設中だった新庁舎が先日完成し、この建物は「旧庁舎」となってしまいました。今年7月より解体工事が始まり、跡地には駐車場が整備される予定とのことです(イメージパース)。

 飯塚市役所は大型連休明けの8日、8階建て新庁舎での業務を開始する。旧庁舎での最後の業務日となった2日、閉庁式があり、53年間使用した庁舎に別れを告げた。
…(中略)…
 4階建ての市役所本館は、既に解体された第1別館とともに1964年4月、現在の飯塚郵便局にあった庁舎から新築移転。99年に購入した2階建て第2別館(旧税務署庁舎)と合わせて本庁舎としていた。本館は7~12月に解体し、跡地は駐車場に。その後、第2別館も解体される。
 市役所は3~7日の連休中に引っ越し。8日朝は開庁式の後、市幹部や新規採用職員が来庁者を出迎える。

※毎日新聞 2017年5月3日(水) 西部本社筑豊版掲載記事「飯塚市役所:閉庁式 53年使用の本館に別れ 業務は8日から新庁舎で」より引用

ちなみに私が訪れたのは現役時代、それも一昨年の夏のこと。例によってネタを溜め込んでしまった訳ですが、それでもせめて機能移転前に取り上げるべきだったような…と我ながら少々後悔しています。まあ何にせよ、月日が経つのは早いなあ、ということで本題に入りましょう。

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2017/02/18 (Sat) 09:00

田川自治会館


田川自治会館
福岡県田川市新町18-7/1958年/鉄筋コンクリート造2階建
設計:熊谷建築事務所 施工:久保建設

前回に続いて福岡県田川市より、伊田地区の西側にある田川自治会館をご紹介します。訪問時は祝日で開いていませんでしたが、玄関には県介護保険広域連合 田川・桂川支部の表札が掛かり、他にも田川郡町村会などが使用しているようです。推測するに同市と周辺町村、すなわち旧田川郡の自治体が連携を図るために設置した拠点施設と思われます。

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2017/02/04 (Sat) 09:00

田川市の木造医院建築3件

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去年の今頃に訪れた福岡県田川市の中心部より、古い医院建築を3件ご紹介します。いずれも詳細は不明ですが、昭和戦前~戦後期の竣工と思われる木造2階建て。

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2017/01/28 (Sat) 09:00

直方谷尾美術館


直方谷尾美術館 本館(旧 奥野医院)
福岡県直方市殿町10-35/1941年頃/木造2階建 ※国登録有形文化財、経済産業省認定近代化産業遺産

かな~り間が空きましたが…一昨年8月に訪れた直方市の街並み(⇒記事)より、改めて紹介いたします。直方谷尾美術館の本館です。

もともとは奥野医院(1913・T2開院、皮膚科)の診療棟だったもので、火災で焼失した先代の建物に代わり、1941(昭和16)年頃に建てられました。医院は平成に入って閉院しますが、明治屋産業*1 創業者の故 谷尾欽也氏が、同社の設立20周年を記念して購入・改装し、92(平成4)年に私設「谷尾美術館」をオープン。氏の死去後に遺族より市へ寄贈され、2001(同13)年から直方市美術館、通称「直方谷尾美術館」となって現在に至ります。

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2016/07/16 (Sat) 09:00

JR九州小倉総合車両センターの建築(後編)


※グーグルマップより(一部加工)。画像クリックで拡大表示

前回に続き、福岡県北九州市のJR九州 小倉総合車両センターより。後編の今回は、現地で目に留まった建物を数棟ご紹介します。用途・竣工時期・構造などのデータはおろか、名称すら判然としないものばかりですが、どうぞご了承ください。

まずはRC造の工場建屋3棟から。いずれも平屋建てで内部と小屋組は鉄骨造、竣工は大正後期から昭和初期と思われます。なお当記事では便宜上、敷地南側に位置するものから順に建屋A・B・Cと呼びます。

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2016/07/09 (Sat) 09:00

JR九州小倉総合車両センターの建築(前編)



昨年10月、北九州市のJR九州 小倉総合車両センター(旧小倉工場)にて開催された「工場まつり2015」へ行ってきました。同センターは1891(明治24)年に九州鉄道によって開設され、国有化・民営化を経て100年以上の歴史がある車両工場で、構内には古い建物がいくつか残っています。前編の今回は赤煉瓦の工場建屋など、明治~昭和初期に建てられた計4棟の建物をご紹介します。

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2016/03/05 (Sat) 18:00

銀行建築巡り in北九州(番外編)



昨年末に行ってきた北九州市の銀行建築巡りの模様を、前々回前回の2編にわたって取り上げました。今回はその番外編で、近年解体されてしまった現存しない銀行建築と、「銀行建築」に当てはまらないモダンな建物、合わせて7件をご紹介します。

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2016/02/20 (Sat) 09:00

銀行建築巡り in北九州(後編)



前回の続き。北九州市の銀行建築巡りの後編となる今回は、戸畑区・八幡東区・八幡西区の計11件をご紹介します。

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2016/02/13 (Sat) 09:00

銀行建築巡り in北九州(前編)



2か月近く前のこと。人も景色も忙しそうな、年末の北九州市へ行ってきました。

お目当ては銀行などの金融機関の建物。当然ながら、単に金融機関であれば何でもという訳ではなく、いわゆる「銀行建築」を見て回ることが目的です。当日は朝の8時前にJR門司港駅(同市門司区)に到着して行動開始。市内の移動には西鉄バス北九州の1日フリー乗車券を使用し、門司→小倉→若松→戸畑→八幡といった順に概ね東から西へと進みつつ、北九州市の銀行建築を巡りました。

北九州都市圏一日乗り放題!1日フリー乗車券 (西鉄バス北九州HP)

なお、素人による独断的な定義ですが…以下の条件をいずれも満たす建築物を「銀行建築」としています。

1.現在の用途の如何を問わず、金融機関の営業所(本店・支店・出張所など)として建てられたもの
2.近代(明治~昭和戦前戦中)に建てられたもの、または戦後から昭和40年代までに建てられ、外観に古典様式を採用したり、様式の名残(対称性・列柱・目地など)が見られたりするもの


このたび見てきた銀行建築の総数は21件。各建物につき写真を2枚と基礎情報、さらに営業所の沿革と外観の特徴を記しつつ、前後2編にわたってご紹介します。前編の今回は、門司区から若松区までの計10件を。


◆凡例

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建築当初の名称
(現在の名称)
所在地/営業開始年月/構造と階数
設計者 施工者  ※文化財指定など

当ブログの通常記事とは異なり、建築当初の名称を優先して現名称は括弧内に表記し、また基礎情報に竣工年ではなく営業開始年月(当該建物での営業が開始された年月)を採用した。なお、設計者及び施工者は判明している場合にのみ、また文化財保護法や景観法等に関しては、指定・登録を受けているものに限りそれぞれ記す。

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2016/01/09 (Sat) 09:00

旧 住友銀行若松支店


旧 住友銀行若松支店
福岡県北九州市若松区本町2丁目/1897年/木骨煉瓦造2階建

明けましておめでとうございます。2016年最初の記事となる今回は、昨年末に訪れたばかりの旧・住友銀行若松支店をご紹介します。福岡県内の銀行建築としては現存最古とされ、また19世紀における本格的な洋風建築の現存例という意味でも希少な建物ですが、老朽化により近く解体されるとの報道が。

さらば「明治の銀行」 福岡県内最古 築118年旧住銀若松支店 地元団体「維持困難」解体へ(西日本新聞)

記事には「買い手が見つからなければ2016年2月をめどに解体開始」とありますが、できるだけ早めに見ておこうと思い、年明け前に行ってきました。

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2015/12/27 (Sun) 09:00

直方市の街並み(後編)

<直方市の街並み・後編 新町、須崎町など>

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前回からかなり間が空きましたが…直方市の後編となる今回は、市中心部から南西へ進んだ直方市直方~山部~新町にかけてのエリアと、北側に位置する須崎町、日吉町などの物件をご紹介します。

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2015/11/28 (Sat) 09:00

直方市の街並み(前編)

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▲直方市出身の元大関魁皇(現浅香山親方)の銅像

今年の8月某日、直方市中心部の街並みを歩いてきました。

直方(のおがた)は福岡県筑豊地方の北部に位置する市。石炭産業で栄えた同地方において特に発展していた3都市、いわゆる「筑豊三炭都」(※)の一つです。加えて直方は北九州に近いことから、北九州へと輸送される石炭の一大集積地、また炭鉱に関連する鉄工業が盛んな工業都市といった性格も有していました。

※他の2市は飯塚市と田川市。この「三炭都」は単に有力な炭鉱が立地しているだけでなく、それぞれの地域における中心都市という意味合いも含まれており、直方・飯塚・田川はそれぞれ鞍手・嘉穂・田川の旧郡域の中心にあたる

そのため往年の繁栄ぶりは相当なものだったようで、当時の雰囲気を伝えるレトロな建物が数多く残されているのも、直方の街の大きな特徴です。今回の街歩きでは、これらの建築群をはじめ様々なものを見てきたので、過去に撮影した写真も数点交えつつ、前後2編にわたって紹介したいと思います。前編の今回は旅の起点である直方駅と、その近くの古町、殿町エリアの物件を。

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2015/10/31 (Sat) 09:00

旧 十七銀行福島支店


八女市本町の商業建築(旧 十七銀行福島支店)
福岡県八女市本町/1933年/木造2階建

少し間が空きましたが…八女福島・後編の記事より、改めて紹介させて頂きます。八女福島の中心街に程近い場所、県道96号「土橋」交差点から南へ少し進んだ先にある建物。

一見何の変哲もない商店の建物ですが、向かって右手(西側)の立面には洋風の意匠が施され、2階部分に見られる2連の丸窓も妙に目を引きます。実はこの建物、現在の福岡銀行(本店・福岡市)の前身にあたる十七銀行によって1933(昭和8)年に建てられ、55(同30)年まで銀行支店として使用されていた、昭和初期の銀行建築なのです。

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2015/10/10 (Sat) 09:00

【八女市&筑後市の旅】筑後羽犬塚の街並み

<八女市&筑後市の旅(4) 筑後羽犬塚の街並み>

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福岡県南部、八女市&筑後市の旅行記事の最終回。今回は八女市訪問の前後に2時間ほど見て回った、筑後市の羽犬塚駅(JR鹿児島本線)周辺の街並みをご紹介します。

羽犬塚駅は九州初の鉄道会社である九州鉄道によって1891(明治24)年に開業。国有化後は1945年に矢部線(85年廃止)が分岐開業するなど、九州の大動脈・鹿児島本線における主要駅の一つとなり、特急も停車するようになりました(※)。もともと羽犬塚は薩摩街道の宿場町でしたが、近代以降は駅を基点とした新たな市街が形成され、現在では筑後市とその周辺における中心的な地域となっています。

※…九州新幹線が全線開業した2011年春以降、特急の本数は朝夕のみ数本に激減。なお新幹線駅は隣の船小屋(現・筑後船小屋)に設置され、羽犬塚に新幹線は停車しない

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※画像クリックで拡大

羽犬塚(はいぬづか)の地名の由来については駅前の看板を参照。大きく分けて2つの説があるそうですが、いずれの話も「の生えた(ような)を葬った墓=があり、その経緯には豊臣秀吉が関わっている」というのが大筋です。

それでは本題に入ります。午前中に駅に到着してから、レンタサイクルの貸し出しが始まる時間まで、駅前を少しだけ歩いて回りました。まずは東へ伸びる駅前道路(諏訪通り)の北側のエリアから。

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