2017/04/30 (Sun) 09:00 坑外施設(4)その他 ▲クリックすると大きな画像が開きます今回は麻生山田炭鉱の坑外における主要施設のうち、石炭の生産工程(搬出・選別・輸送)からは少し外れるものの、操業に大きな役割を果たした施設の遺構を紹介します。 スポンサーサイト 続きを読む
2014/06/19 (Thu) 21:50 上山田原山の社宅街 今回は上山田の原山にあった社宅街をご紹介します。(1974年撮影 / 国交省の国土画像情報より引用・加工)赤線で囲った部分が今回の社宅街。麻生山田炭鉱の社宅では炭鉱施設から最も遠い場所、南西に1kmほど離れた山裾にありました。私が山田炭鉱の記事を作り始めた当初は全く頭に入っていなかったのですが、後日手持ち資料を見返していると「草場」が2つと「猪野白谷」に続いて「上山田原山」と記載されていることに気付きました。このやけに長ったらしい地名は「猪野白谷」と同じく大字と小字を組み合わせたものと思われ、恐らく上山田(かみやまだ)と原山(はらやま、はるやま)に分けられるのでしょう。なお現在の久山町の大字は久原・山田・猪野の3つのみなので、この上山田というのは合併以前の山田村の大字であると考えられます。 続きを読む
2014/06/17 (Tue) 11:50 草場(南)の社宅街 今回は草場池の南側にあった社宅街についてご紹介します。(1974年撮影 / 国交省の国土画像情報より引用・加工)赤線で囲った部分が今回の社宅街で、麻生山田炭鉱の社宅では最も炭鉱施設に近い場所にありました。 続きを読む
2014/06/15 (Sun) 19:36 麻生山田炭鉱 専用水道 他の社宅街に移る前に、専用水道についても取り上げておきます。山田炭鉱には麻生鉱業が整備した専用の水道設備があり、炭鉱施設や社宅に供給されていました。炭鉱の閉山後、工業用水は供給の必要がなくなり廃止されますが、生活用水については社宅で暮らし続ける人々のために事業が継続されます。しかし当時の麻生には閉山後の炭鉱に人手を割ける余裕はなく、残った職員だけでの維持管理が困難になったため、1969年6月に久山町へ移管され草場簡易水道となりました。その後も現在に至るまで町の管理となっているため、『久山町誌』において2ページ弱ながら紹介されています。そのうち施設の概要を述べた部分を以下に引用。“給水区域は草場区(旧麻生社宅)で、給水人口750人、一日最大給水量150立方メートルを規模とする事業計画を申請、認可を受け、同年(=1969年)8月に給水を開始し、現在に至っている” “なお平成3年度の実績は、給水人口351人、一日最大給水量89立方メートルとなっている” ※『久山町誌』上巻755頁より麻生による私設水道であった点は水道施設の成り立ちとして触れられるのみで、麻生の管理下にあった時期の詳細については述べられていませんでした(当然ですが)。ただし同書の他のページにも目を通すと、この専用水道は久山町内の水道としては比較的早い時期に整備されているようで、山田炭鉱の社宅街が当時としては先進的な生活環境にあったことは容易に想像できます。前置きが長くなりましたが、専用水道の現況を見ていきましょう。 続きを読む
2014/06/14 (Sat) 21:36 草場(北)の社宅跡 今回は草場池の北側にあった社宅街のうち、建物が解体され跡地の再利用もなされていない2つのブロックについてご紹介します。まず前回も使用したこちらの画像を。(1974年撮影 / 国交省の国土画像情報より引用・加工)前回紹介した社宅街からそう離れていない場所、青線で囲った部分が今回の社宅跡です。いずれも山田炭鉱の社宅としては標準的な木造平屋の2軒長屋の建物が建っていたようです。 続きを読む
2014/06/13 (Fri) 18:13 草場(北)の社宅街 今回は草場池の北側にあった麻生山田炭鉱の社宅(炭鉱住宅)街についてご紹介します。長いこと炭鉱遺構の記事が続いたので、まずは閉山後の航空写真で社宅街の位置を再確認。(1974年撮影 / 国交省の国土画像情報より引用・加工)中央に写る灰色の山がボタ山で、その麓が炭鉱跡地。赤い線で囲った部分が今回ご紹介する社宅街です。社宅は木造平屋建で、基本的には1棟に2戸が入る二軒長屋タイプ。建物は炭鉱の閉山後に払い下げられているようで、外装の補修や庭に張り出す形での増築が目立ち、また1棟のうち半分だけ戸建て住宅に建て替えられているケースも見られます。しかし、1974年の航空写真で20棟ほど確認できる二軒長屋のうち15棟程度が現存しており、建物自体の状態はともかく社宅街としての残存状況は比較的良いと言えます。このエリアは山田炭鉱で最も早い時期に整備された社宅街のひとつなので、多くの社宅が今なお現役の住宅として使用されているのには少々驚きました。 続きを読む
2014/03/30 (Sun) 01:42 麻生山田炭鉱 麻生山田炭鉱所在地:福岡県糟屋郡久山町山田操業時期:1948~1967年(19年間)総出炭量:102万7378トン山田炭鉱は大手炭鉱会社の麻生鉱業*1 が、現在の久山町山田で開発・経営した炭鉱です。主に家庭用の石炭(ホームコール)を産出する中規模な炭鉱でしたが、1948(昭和23)年の開坑以来、効率的な生産を目指して先進技術が導入されていました。しかし、炭層に松岩*2 が多く含まれるために十分な効果が得られず、また採掘区域が次第に農地・宅地へと広がるにつれ、鉱害リスクの増大による採算悪化が懸念されるようになります。結局こうした同鉱特有の事情や、石炭産業全体の斜陽化を背景に、同社の事業合理化の一環として67(同42)年に閉山。同鉱の位置する糟屋炭田*3 では最も遅くまで操業を続けたものの、その期間は僅か19年と短命に終わりました。 続きを読む