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2014/07/30 (Wed) 21:00

志免炭鉱 2008年12月~2009年1月

(2008年12月7日)

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3週間ぶりの訪問。

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2014/07/30 (Wed) 15:00

志免炭鉱 2008年7月~11月

志免炭鉱の閉山後、竪坑櫓を除き施設の大半は解体されたものの、跡地の大部分は長らく再利用されない状態が続いていました。しかし2004年に区画整理と併せて町総合福祉施設「シーメイト」が建設され、空き地のまま残った竪坑櫓周辺についても活用が図られるようになります。同年の台風でコンクリート片がシーメイト敷地内に落下したことを受け一時は解体も検討されますが、町は貴重な産業遺産として竪坑櫓を保存することを決定し、周辺の活用計画もそれに沿ったものとなりました。

今回は実際に活用のための整地工事(炭鉱跡地基盤整備事業)が始まった2008年7月以降の写真のうち、同年11月までの撮影分計47点を紹介したいと思います。


(2008年7月30日)

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(画像の一部を加工しています)

この日もいつもと同じように何気なく訪れたので、いつの間にか工事が行われていたことに大変驚いたのを覚えています。

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2014/07/30 (Wed) 09:00

志免炭鉱 2007年1月~2008年6月

私が初めて志免炭鉱跡を訪れたのは2005年頃、竪坑櫓の見守り保存が決定した頃だったと記憶しています。以来なんだかんだで毎年1度は必ず訪れており、かれこれ10年近く通い続けていることになります。残念ながら3年前に当時写真を保存していた外付けHDDが故障してしまい、それ以前に撮影した志免炭鉱の写真のほとんどは駄目になったのですが、2007年1月~2009年1月撮影分の一部はウォークマンに保存していたため難を逃れました。

ちょうど同時期には竪坑櫓周辺で整地工事が行われており、これらの写真もある意味で貴重な記録といえなくもないので、手元に残っている内の154点を3回に分けてご紹介したいと思います。全て先代カメラでの撮影であり撮り方も今以上に下手くそで、見苦しい写真もありますがその辺はお許しください。まず今回は2008年6月撮影分まで、整地工事が始まる前の様子です。


(2007年1月20日)

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手元にあるものでは最も古い志免炭鉱の写真。

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2014/07/29 (Tue) 21:00

志免炭鉱 舎宅など

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炭鉱の労働者が暮らしていた住宅といえば普通は「炭住」や「社宅」と呼ばれますが、志免炭鉱は国営だったため「舎宅」という表記が用いられていました。ただし住宅のスタイルは木造平屋のものが主流だったようなので、名称以外は一般的な炭鉱住宅と特に変わらないようです。

大規模な炭鉱だっただけあって舎宅の数も多く、山田炭鉱の社宅のように全て見て回るのは流石に難しそうなので、街をウロついて出くわしたかつての舎宅らしき住宅を簡単に紹介します。今回の写真は2013年3月と2014年1月の撮影。

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2014/07/29 (Tue) 15:00

志免炭鉱 酒殿坑

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竪坑櫓やボタ山のある辺りから北に少し離れた場所、粕屋町酒殿(さかど)にも志免炭鉱の施設がありました。現在跡地の大部分は住宅地となっていますが、坑口の一部と思われる遺構などが空き地の中に残っています。上写真はボタ山頂上から撮影したもので、中央奥に見える倉庫のような建物の周辺が酒殿坑跡の空き地。写真手前は志免炭鉱の前身である旧日本海軍の新原(しんばる)採炭所の石炭輸送を主な目的として建設されたJR香椎線です。

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2014/07/29 (Tue) 08:00

志免炭鉱 坑外軌道トンネル

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志免炭鉱付近を走っていた勝田線や香椎線貨物支線さえ廃止されてしまった現在では想像も付きませんが、操業当時はさらに炭鉱敷地内にも網の目のように軌道が張り巡らされていました。

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2014/07/28 (Mon) 19:00

志免炭鉱 ボタ山

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竪坑櫓や坑口が保存されている志免町の総合福祉施設「シーメイト」の北側、県道91号を挟んで向こう側にある小高い山が志免炭鉱のボタ山です。炭鉱敷地のすぐ近くにボタ山が形成されるケースは志免炭鉱のような大規模炭鉱では比較的珍しく、また竪坑櫓・斜坑口・ボタ山の3点がセットで残っているのも国内では希少な例であるといえます。

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2014/07/27 (Sun) 08:00

志免炭鉱 坑口跡3件+1

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竪坑櫓の周辺では2008年夏から整地工事(炭鉱跡地基盤整備事業)が行われ、もとの地盤から1mほど掘り下げられています。その際に閉塞済みの坑口が1つと記録に無い坑口が2つ新たに発見され、うち1つは残念ながら埋め戻されてしまったものの、もともと地表から確認できる形で存在していた第八坑連卸坑口と合わせ計3か所の坑口が保存されました。

今回はそれらの坑口(いずれも竪坑櫓の北側に位置)と、南側の敷地外に残る坑口らしき構造物を紹介します。写真はいずれも特に言及がない限り2013年3月~2014年7月の撮影です。

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2014/07/26 (Sat) 23:59

志免炭鉱 竪坑櫓

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志免炭鉱 竪坑櫓
福岡県糟屋郡志免町志免495-3/1943年竣工/鉄筋コンクリート造

本日より糟屋郡の志免町などにあった炭鉱、旧国鉄志免鉱業所(志免炭鉱)をボチボチ紹介していきます。志免炭鉱では周辺の宅地化に伴い跡地の大部分で再利用が進んでいますが、かつての炭鉱施設の一部が産業遺産として保存されており、特に鉄筋コンクリート造の巨大な竪坑櫓は地域のランドマーク的存在として多くの人々に愛されています。

遺構の概要や炭鉱全体の歴史などについては既に各所で紹介されているので、当ブログの記事では最近撮影した遺構の写真、それと数年前に行われた保存整備の工事の様子を中心に取り上げていきたいと思います。まず今回は2013年3月~2014年1月に撮影した竪坑櫓の写真です。なお今年7月の様子は先日の雑記にてお伝えしています。

志免炭鉱竪坑櫓、補修工事始まる?

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2014/07/25 (Fri) 23:22

過去3記事への追記

以下の3記事に追記したのでお知らせ致します。

二枝ビル(糟屋郡志免町) …建物前にあった上屋(アーケード)について少々

花関ビル(福岡市博多区中洲) …跡地でのビル建設が進んでいました

土居画廊(福岡市博多区下川端町) …残念ながら解体を確認

そういえば福岡県立美術館(旧福岡県文化会館、佐藤武夫設計)でも何やら足場が組まれているのを見かけましたが、同美術館HPによれば耐震工事とのこと。今後もあの建物が使われ続けるようで何よりです。

2014/07/23 (Wed) 19:00

志免炭鉱竪坑櫓、補修工事始まる?

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先日の連休中、久しぶりに志免町の国鉄志免鉱業所(志免炭鉱)跡を訪れました。近いうちに志免炭鉱の記事でも書こうと思い、現状の写真を撮るために出向いたのですが…竪坑櫓を見て、何やらいつもと様子が違うことに気付きます。

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2014/07/12 (Sat) 08:00

九州大学 旧工学部本館

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九州大学 旧工学部本館
福岡市東区箱崎6丁目/1930年11月/鉄筋コンクリート造(一部SRC造)地上5階地下1階建
設計:倉田謙  施工:清水組

帝国大学として設置された1911年以来の歴史を誇る箱崎キャンパスにおいて、とりわけ風格を感じさせる佇まいの近代建築物。煉瓦造の先代の建物が火災で焼失したことを受け、2代目の工学部本館として1930(昭和5)年に建てられました。同学部が伊都キャンパスに移転した現在も、各種施設や総合研究博物館の展示室などが入る現役の建物として使用されています。

建物は中央に玄関と塔屋を配し、両側に翼部を広げた左右対称のスタイル。平面構成は単純な横長ではなく、中央を後方、両端を前後方に張り出し、ちょうど綺麗にレタリングされたような“E”字型となっています。塔屋を備えた中央部は5階建て、その他の大部分は3階建て。

(2014年12月6日追記:写真の追加や文章の加筆・修正を行い、記事を再構成しました)

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2014/07/10 (Thu) 15:00

熊本市内をウロウロ

先日のこと。迫り来る台風に前線が押されたのか久しぶりに晴れたので、少しばかり市街地をウロついて来ました。

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まず訪れたのが熊本電鉄の藤崎宮前駅。唯一のテナントだったパチンコ店が最近撤退し、駅ビル(熊電プラザビル)は空き箱同然になってしまいました。もともとパチンコに駅が間借りしているような雰囲気が個人的には好きではなかったものの、空きビルになってしまうとそれはそれで寂しいですね。早く後継テナントが決まってくれれば良いんですけど。

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2014/07/07 (Mon) 11:00

イムズ (天神 MMビル)

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イムズ (天神 MMビル)
福岡市中央区天神1丁目7-11/1989年/鉄骨鉄筋コンクリート造地上14階地下4階建

三菱地所などが手掛けたファッション中心の複合商業施設。天神のメインストリート・渡辺通り沿い、天神コアと天神ツインビルの間にあります。

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2014/07/05 (Sat) 08:00

鳥飼の洋館付き住宅2軒

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鳥飼の洋館付き住宅 (その1)
福岡市中央区鳥飼1丁目/大正末期~昭和初期?/木造2階建

今回は福岡市中央区の鳥飼に存在する、玄関脇に洋館を備えた和風住宅、いわゆる文化住宅を2軒ご紹介します。

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2014/07/03 (Thu) 18:00

サニー警固店

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サニー警固店
福岡市中央区警固2-10-20/1978年/鉄骨鉄筋コンクリート造8階建の1階部分
開店日…1978(昭和53)年10月24日
売場面積…(506㎡→)630㎡
駐車場…なし

国道202号・国体道路(けやき通り)から少し入った場所にある店舗。もともと同じ地場チェーンのスーパーヤマエの店舗として開業し、同社とサニーとの資本・業務提携や子会社化、そして合併を経て現在に至っています。

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2014/07/02 (Wed) 18:00

サニー粕屋店

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サニー粕屋店
福岡県糟屋郡粕屋町仲原2721/1996年/鉄骨造
開店日…1996(平成8)年10月29日
売場面積…1423㎡
駐車場…489台収容(ミスターマックスと共用)
※2015年3月31日18時閉店予定(記事末参照)

県道607号線(旧国道201号)の釜屋交差点角、総合ディスカウントストアのミスターマックス粕屋店に隣接する店舗。分かる方には旧勝田線沿いでも通じるかと思います。ミスターマックスの方は一足先に1993年に開業しており、食品スーパーであるサニーの出店は業態の異なる両者が相互に補完しあい集客力を強める狙いがあったようです。ただしトライアル粕屋店(旧コジマ粕屋店)やサティ福岡東店(旧ニチイ粕屋店、現イオン福岡東SC)などの出現により競争が激化した結果、ミスターマックスは昨年から生鮮3品(精肉・鮮魚・青果)の取扱いを開始。敷地と駐車場を共有していることには変わりないものの、片手で握手しつつもう一方の手で殴り合うような展開になっています。

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2014/07/01 (Tue) 18:00

サニー松崎店

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サニー松崎店
福岡市東区舞松原2丁目6-1/1973年/鉄骨造2階建
開店日…1973(昭和48)年3月27日
売場面積…(1744㎡→)1124㎡
駐車場…19台収容
※2015年3月末閉店予定(記事末参照)

今回は東区の舞松原、幹線市道(千早土井線)沿いにあるサニー松崎店をご紹介します。サニーについては私は福岡にいた頃よく利用していましたが、サニーというチェーン自体に馴染みのない方もいらっしゃると思うので、まずはそちらの説明を軽く入れておきましょう。

サニーは世界的な小売り企業のウォルマート(米国)傘下の西友が運営し、福岡県を中心に展開する食品主体のスーパーマーケット・チェーンです。もともとは福岡市の百貨店・岩田屋のスーパー部門として設立されており、岩田屋の経営危機を受けて西友に売り渡され現在に至っています。岩田屋を核として出店を拡大してきた経緯から県内では福岡都市圏と筑後地域に店舗が集中しており、井筒屋(小倉)の勢力圏にあった北九州・筑豊地域には僅か2店舗が存在するのみ。その一方で県外では過去に岩田屋が支店を置いていた名残で、熊本市や大分県日田市に現在も店舗を構えています。

一時は福岡を代表するスーパーにまで成長したサニーですが、設立当初は百貨店のスタイルから中々抜け出せず苦難の連続だったそうです。そんな中で1972(昭和47)年10月、スーパーの経営ノウハウを取り入れるために行われたのが、当時三越を抜いて国内小売業最大手となったダイエーとの業務提携でした。この提携は家庭用品・衣料品部門におけるもので、食品スーパー(SM)からダイエーのような総合スーパー(GMS)へと業態を拡大させるための布石であったとのちに語られています。そしてこの業務提携後初めての新規店舗として、またサニー25番目の店舗として誕生したのが、今回ご紹介する松崎店なのです。

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