料亭きくしげ(旧店舗、現存せず)福岡市中央区西中洲4-1/昭和初期?/木造2階建
/2014年12月~15年1月ごろ解体※「料亭きくしげ」は2014年より同市東区多の津で「きくしげ別館」として営業されています(詳細後述)西日本随一の歓楽街として賑わいを見せる中洲の対岸、西中洲の川辺にある立派な和風建築。先月いっぱいで閉店してしまった料亭「きくしげ」です。国体道路の春吉橋からもよく見えるので以前から気にかかっていた存在でしたが、この前目にした新聞記事にこんなことが書かれていました。
“那珂川沿いにある料亭「きくしげ」。1930年頃に中洲で創業し、「筑豊の炭鉱王」と呼ばれた伊藤伝右衛門の旧別邸に戦後、店を移した老舗だ”
※読売新聞福岡版2014年6月22日朝刊より引用
福岡市にあった伊藤家の別邸といえば天神2丁目の銅(あかがね)御殿が知られています。そのため天神にあった旧別邸を西中洲に移築したのかと思いましたが、よくよく読むと「旧別邸
に店を移した」とあります。これでは伝右衛門さんの別邸が西中洲にあったということになりますが…。
しかし先述の銅御殿は1927(昭和2)年に漏電によって焼失しており、その後については屋敷の門が飯塚市の本邸に移築されたこと、跡地の一画に親族の方々が所有する「伊藤ビル」が建っていること、屋敷を囲んでいた煉瓦塀の一部が現存していることぐらいしか知りません。焼失後に西中洲に改めて別邸を構えた、あるいは同地で再建後に西中洲に移築したか…料亭きくしげの閉店直前までこの話があまり有名でなかったことも謎を深めます(タイミング的には「花子とアン」の存在が大きいかもしれませんね)。
この件についてはどうにも情報が少ないというか、正直なところ詳細は私にはさっぱりです。ただ「料亭きくしげ 閉店」を検索して何の情報もない私のブログに飛ばされた方々が大勢いらしたようなので、お詫びの意味も含めてこうして記事にしてみた次第です(笑)。以下、建物の写真をいくつか。