草場(北)の社宅街

(1974年撮影 / 国交省の国土画像情報より引用・加工)
中央に写る灰色の山がボタ山で、その麓が炭鉱跡地。赤い線で囲った部分が今回ご紹介する社宅街です。社宅は木造平屋建で、基本的には1棟に2戸が入る二軒長屋タイプ。建物は炭鉱の閉山後に払い下げられているようで、外装の補修や庭に張り出す形での増築が目立ち、また1棟のうち半分だけ戸建て住宅に建て替えられているケースも見られます。
しかし、1974年の航空写真で20棟ほど確認できる二軒長屋のうち15棟程度が現存しており、建物自体の状態はともかく社宅街としての残存状況は比較的良いと言えます。このエリアは山田炭鉱で最も早い時期に整備された社宅街のひとつなので、多くの社宅が今なお現役の住宅として使用されているのには少々驚きました。
それでは社宅街の現況を見ていきましょう。
社宅街の入口のひとつである階段が見えます。
坂道を下りて接近。
階段。両側に1棟ずつ社宅があります。左側の棟は奥半分が建て替えられていますが…
右側の棟は玄関回りが下見板張りのままでした。
階段を上がった場所。この辺りは長屋が整然と立ち並んでおり、社宅街らしい雰囲気が特に感じられます。
改装が目立つ中、ここでも下見板張りを発見。
階段方向を振り返る。平側の並び。
少し入った所から妻側の並び。奥に見える2棟はもう一段高い場所にあります。
社宅をぐるりと回り込んだ先、最上段へはこのスロープから。ちなみにここの社宅街はほぼ全ての棟に自動車で乗り付けることが可能です。私が訪れた時も宅急便の配送車が窮屈そうに行ったり来たりしていました。
でもストリートビューカーはここまで来ていませんでしたね。「せっかく面白い所なのに勿体ない」と思う反面、「記事が無駄にならなくて良かった」なんてことも考えたり。
擁壁はお馴染みの松岩。
上った先の左手にあったこの社宅は他と微妙に雰囲気が違っていました。
ここでもコの字型に回り込む。正面は配水池があった丘。
曲がって突き当り。この社宅街では最も奥まった場所で、かつて存在した6棟のうち半分は空き地になっていました。ちなみに左手前も意味ありげな空き地のように見えますが、もともとマムシが出るような谷だった所を埋め立てたのだとか(近所のおじさん談)。
スロープに戻ります。
社宅の並びを上からも撮りたかったのですが、ちょうど逆光でした。
最後に再び階段。昔は鉱夫の方々が毎日ここを行き交っていたんでしょうかね。炭鉱までの道のりはすっかり変わってしまいましたが、この階段は今なお残る社宅とともに炭鉱があった頃の情景を偲ばせる存在であり続けています。
なお、今回使用した写真は全て2014年2月撮影です。
(おまけ)

階段にいたノラさん。こちらが姿勢を低くするやいなや猫まっしぐらといった感じで駆け寄ってきて、身体中こすり付けるわ顔中舐め回すわ、大歓待を受けることになりました。よほど腹が減っていたのかどうかは分かりませんが、それにしてもここまで人馴れしているノラに出くわすのは初めて。飼いネコでもそうそういないかと思われるレベルの懐っこさだったので、なかなか衝撃的でした。

おまけのおまけ。ひとしきりはしゃいで喉が渇いたのか、どう見ても家の中から流れ出てきている水を補給されるノラさん。君さっき人の顔を舐め回してたよね。いやはや、これまた衝撃的でした。
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