寿通商店街

寿通商店街
福岡市博多区下川端町~綱場町付近/木造2階建など
※記事の内容を一部訂正のうえ、「下川端商店街」という表題の別記事と併せ大幅に改編しました
寿通(ことぶきどおり)商店街は、現在の下川端町から綱場町にかけて存在していた商店街です。この「寿通」という地名が具体的にどの辺りを指すのかについて、記事を作った昨年7月の時点では正直ほとんど分かっていませんでした。そこで今回改めて記事を書くにあたり、まずは地名の話から整理していきたいと思います。
もともと当地には那珂川(博多川)と御笠川(石堂川)を結ぶ運河、博多大水道が存在していました。1879(明治12)年に博多川に寿橋が架けられたのを機に、大水道に石を被せて道路が造られ、沿道に商店が立ち並ぶようになります。完成当初は単に新道などと呼ばれていましたが、商店街としての発達を受け1922(大正11)年に橋に因んで「寿通」と名付けられました。恐らくこの前後に周辺も含めて寿通と呼ぶようになったと思われるため、地名としての成立も同時期とみて良いでしょう。その後は近隣の下川端通、上川端通、麹屋番、綱場町とともに「博多五町」と呼ばれるまでに成長しますが、戦後の町名再編により下川端町と綱場町に組み込まれ、寿通の名称は麹屋番とともに消滅しました。
そして本題の寿通商店街。博多五町と呼ばれていた時期は各町の商店街と一体化し、近代博多における一大商業エリアを形成していました。しかし天神への商業集積が進むにつれ相対的に地位を落とし、博多五町のうち往時の雰囲気を留めるのは上川端の商店街(川端通商店街)のみ。寿通商店街があった界隈にはビルが林立し、現代的な街並みへと変貌しています。
そんな中で、小規模な商店が軒を連ねていた時代の面影を残す場所があります。現在の住所でいうと下川端町の1番地と8番地の間、明治通りと並行する形の細い道路です。以前はよく理解していなかったため下川端商店街の一部として紹介しましたが、同記事で頂いたコメントでも指摘されていたように、正しくはこれがかつての寿通商店街にあたる部分でした。

寿通商店街の大部分は再開発によって下川端商店街とともに博多リバレイン(写真奥)となっており、現存しているのは北東側の末端にあたる距離にして僅か40m弱の短い区間です。現在この区間は博多区によって「リバージュ通り」と名付けられ、石畳が整備された道の両側に商店街時代から存続する木造2階建の小さな商店がポツポツと並んでいます。

寿通商店街は戦時中の空襲で壊滅的な被害を受け、戦後の1947(昭和22)年6月に復興しました。現在見られる古い店舗は恐らく復興当時のものと思われます。また1951~56年頃には下川端商店街とT字に交わる形でアーケードが設置されており、この区間にも再開発が行われるまではアーケードが存在していたようです。撮影時(2013年2月)既に店舗の一部はビルに建て替わっていたりマンションや駐車場になったりしていましたが、現在は更に上写真の2店舗が解体され駐車場になっており、僅かに残る商店街の雰囲気もいずれ完全に消えてしまうかもしれません。

北東側の終端部。土居通りを渡った先にも道路は真っ直ぐ続いていますが、向こう側は綱場町となります。

靴店の入口。木製のドアやショーウィンドウが洒落た雰囲気。

土居通り沿いにも寿通商店街を構成していたと思われる居酒屋が残っています。建物は戦後の商店街によく見られる片流れ屋根の木造建築で、恐らくこれも戦後復興期に建てられたもの。ちなみに類似したスタイルの建物は市内では須崎町の須崎問屋街や中央区渡辺通の三角市場などで見られます。

この建物は店舗前の歩道を覆う片屋根式アーケードを備えているのが特徴。写真左から入った所が先述の現存区間であり、建物の場所はかつての商店街の出入口付近にあたります。

この片屋根式アーケードは恐らく寿通・下川端におけるメインストリートだったアーケード街(全蓋式)の延長として設置されていたものであり、周辺の店舗が建て替えられるなどしてアーケードの撤去が進んだ結果、こうして断片的に残っているのでしょう。

アーケードの構造は、歩道に設置した鉄柱に木材を渡し波板を載せただけの簡素なもの。

建物脇のポールには、NTTの前身である電電公社のマークと「寿通線」の文字。寿通商店街の面影を感じられる部分はこんなものでしょうかね。

最後に「寿通」の名前の由来となった寿橋の現在の姿(写真中央)。再開発を機にすぐ近くの橋とまとめて1本の橋に架け替えられ、橋の名称も「博多ことぶき橋」へと変更されています。実はこの架け替えの際に少しだけ下流側(北西)に橋が移動しており、さらに寿通商店街も戦後の復興時に明治通り側(南東)へ移っていたため、もともと一続きのはずだった橋と通りにズレが生じていたのでした。寿通がどの道路を指した名称なのか分かり辛くなっていたのは、どうやらこれが原因だったようです。
以上、僅かに痕跡が残る博多区の寿通商店街でした。せめて周辺一帯の昔の姿を知っていればこれだけ悩むこともなかったのですが、私が小学校に上がる前には既に博多リバレインに変わっていたのでどうにも…(という言い訳)。ともかく、誤った内容の記事を訂正するまでに1年以上かかったことはお詫び申し上げます。
(2013年7月公開、2014年9月訂正)
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コメント
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2015-09-01 16:32 編集
Re: タイトルなし
そのような経緯があったのですね。私はこの愛称を博多区のホームページで知ったのですが、愛称の他には起終点と地図しか掲載されていませんでした。どうせならば、そうした由来についても併記してほしいものです。
2015-09-02 17:32 博多人(本町3丁目) URL 編集
寿通りの位置について
2022-11-21 01:17 kuni.T URL 編集
Re: 寿通りの位置について
コメントありがとうございます。
昭和30年代と言いますと、まだまだ商店街が賑わっていた頃でしょうか。現代の静かな雰囲気しか知らない私としては、位置は変わっていないと認識しつつも「ここが寿通りだったのか?」と半信半疑でした。
ひさし状のアーケードもかなり古そうに見えますが、酒房やすさんが設置されたということは歴史のあるお店なんですね。
2022-11-22 13:26 クータロ URL 編集