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2014/06/17 (Tue) 11:50

草場(南)の社宅街

今回は草場池の南側にあった社宅街についてご紹介します。

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(1974年撮影 / 国交省の国土画像情報より引用・加工)

赤線で囲った部分が今回の社宅街で、麻生山田炭鉱の社宅では最も炭鉱施設に近い場所にありました。

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周辺を拡大。ここの社宅街は草場池の北側や猪野白谷と同じく、炭鉱が操業を開始したばかりの頃に開設されました。ただし全ての社宅が当初から建てられていた訳ではなく、建築年代はいくつかの時期に分かれているようです。国土地理院の航空写真で追っていくと、水色で囲った部分にある25棟は1961年までに、黄色で囲った3棟は1964年から1966年の間に、それ以外の17棟は1961年から1964年の間に建てられていることが確認できます。

改めて考えてみると炭鉱が閉山したのが1967年ですから、ここの社宅街は閉山の直前まで少なくとも2度の拡張がなされていることになります。このような変化は他の社宅街では見られず、なぜここだけ1961年以降に社宅の数が倍近く増えているのかは不明です。これは想像ですが、ひょっとしたらスクラップアンドビルド政策のもと閉山した他の炭鉱の労働者を、比較的新しい設備が整っていた山田炭鉱が受け入れていたのかもしれません。

そして現況ですが、草場(北)の社宅街には及ばないものの一部が現役の住宅として残っています(赤色で囲った社宅)。建物全体が残っている社宅が9棟、半分化された社宅が3戸現存しているようです。ただしここでも改装や庭に張り出す形での増築が目立ち、増築して2階建の住宅になっている例も1件ありました。また現存する社宅の多くは1961~1964年に建てられたもので、1961年以前に整備された当初の社宅街は大部分が空き地になっていました。

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それでは現在の様子を見ていきましょう。まずは選炭場の下からの遠景。

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ホッパーの裏(北東側)の藪から。遠目に見ると何の変哲もない住宅地のようですが…

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よく見ると同じような形をした平屋の住宅が数軒、現代的な戸建て住宅に紛れて並んでいるさまが分かります。

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集会所付近からも、かつての社宅らしい長屋の並びが僅かに望めます。

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かつての炭鉱の外周道路に入ります。写真右手には草場池の放水路から続く小川が流れ、右上には選炭場跡に立つ電波塔が微かに写っています。

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畦道を抜けて社宅街へ。おなじみの松岩の石垣が見られます。

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社宅に梅の木、松岩の石垣。

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ここの社宅街は緩やかな傾斜地に造られており、東側にいくにつれて高くなる段状の構造になっています。

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社宅が並んでいる辺りまで入って来ました。

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このお宅は板張りのまま。

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道は続いていますが、社宅が並んで残っているのはここまで。

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折り返します。

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社宅跡の空き地を抜け、いったん草場池側へ移動。並び立つ社宅を振り返る。

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ポンプ室近くの丁字路より東を望む。堰堤下のスペース(写真左)は何かが建っていた跡にも見えますが、ここは炭鉱があった頃から公園として使われているようです。

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奥まで上っていった所にも、かつての社宅が1棟だけポツンと残っています。

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1961年以前に建てられた社宅としては、ここの社宅街で唯一長屋の形を保っています。加えて妻壁も両側とも下見板張りのままなので、少なくとも外観は最も原型に近いのではないでしょうか。

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近くに立っていた電柱の番札。ここの社宅街のみならず山田炭鉱周辺の電柱には未だに「麻生」の名前が残っています。一般的には地名が入るので「草場」じゃないのかな?とも思いますが、たまたま手にとった1982年のゼンリン住宅地図には「麻生社宅」と記載されていたので多分地名になっているんでしょう。

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最後に再び外周道路から、社宅跡の空き地。一部は草場(北)と同じく畑として活用されています。

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同位置から北方向、草場池の堰堤を望む。想像ですが炭鉱が出来る前は池も造られていなくて、この辺りには川だったのではないでしょうか。

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左側の一段高い場所が炭鉱跡地。ここもずっと昔は川土手だったように見えます。

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現在は放水路から続く小さな川が流れるのみですが、周辺の地形なんかから昔の姿を想像するのも楽しいですね。余談ですが索道の現存支柱(東区名子2丁目)付近も航空写真で見ると、田畑の中に近くを流れる猪野川の旧河道と思しき部分がはっきりと見て取れます。

⇒グーグルマップ(航空写真)

最後は少々話が逸れましたが、草場(南)の社宅街については以上です。3ヶ月近く続いている麻生山田炭鉱もようやく終わりが見えてきました。過去記事の内容の修正や記事全体の整理など色々手を加える予定ですが、とりあえず今週中には完成させるつもりです。



写真の撮影年月は以下のとおり。

2014年2月)101~114
2014年3月)115~121

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