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2013/07/21 (Sun) 18:58

土居画廊

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土居画廊(現存せず)
福岡市博多区下川端町/昭和初期?/木造2階建/解体済み(追記参照)

下川端商店街を構成していた店舗のひとつと思われる、洋風デザインの看板建築です。前回紹介した石畳街路の目と鼻の先にあり、↑の画像左は石畳街路に面した店舗の裏側、画像向かって後ろには博多座があります。

dg11.png※ストリートビューから拝借

明治通りから博多座と明治通りビジネスセンターの間、この狭い道にひっそりと残っています。

dg12.png※グーグルマップより拝借

十字に交差するメインの通りではありませんが、下川端商店街の時代から存在する細い道です。

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前の記事で「周辺の商店街は空襲でほとんど焼けた」と書きましたが、これは戦後建築と思われる他の店舗とは明らかに異なる佇まいを見せています。まずは、かすかに見える瓦の載った寄棟屋根。近隣店舗の切妻屋根とも、酒房やすのような片流れ屋根とも大きく異なります。

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次に、軒部に施されたアーチ状の凹凸装飾。調べてみたらロンバルディア帯とかいう名前らしいです。モルタルの剥落が多少見受けられるものの、アーチ部分は右端から左端まできれいに残っています。

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そして、なぜか渦をまくオーダーのついた3連アーチ窓。さらに外壁はは淡いグリーンのスクラッチタイル張り。木造の小柄な建築ながら、ファザードは厚いモルタルでここまで丁寧に仕上げられています。それだけに1階のシャッターが非常に残念ですが、2階外壁に残る装飾だけを見ても、じゅうぶんに質の高い看板建築であるといえますね。

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しかし、お隣の駐車場から見える側面の痛々しい姿を見ると、良質なデザインとは裏腹にメンテナンスの悪さが際立ちます。「画廊」との看板は掲げられているもののシャッターの開いている所を見たことがないので、現在は使用されていないのかもしれません。

それにしても、何か違和感を感じるボロ具合ですね。奥の縦長窓あたりはきちんとした下見板張ですが他は隙間だらけで、辛うじて塞いだといった印象を受けます。ひょっとしたらもともと駐車場部分に続きの棟があって、そちらを解体した後に廃材で塞いだとか?駐車場は割と新しそうなので、あと3年くらい早く来ていたら分かったかもしれないです。

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側面の足下を見てみると、基礎部分には鉱滓煉瓦が使用されていました(判りづらいですが)。



参考までに。よく分からないオーダーのついたアーチ連続窓といえば、神屋町の高木印刷社が思い浮かびます。

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(参考画像)

これは戦後期のカフェー建築のようですが、土居画廊ほど手の込んだデザインではありません。このことからも、土居画廊はもう少し古い戦前の建築、おそらく昭和初期のものでは?と考えられるわけです。空襲の被害記録を見ても「ほとんどが焼失」といった表現になっているのですから、こうした小さな建物がひとつくらい戦火を逃れていたってのも無理な解釈ではないと思いますしね。

もう一つ参考までに。3連アーチ窓とロンバルディア帯で似た建築がないかググったところ、発見しました。

dg08.jpg(参考画像)

神戸大学の六甲台本館(1932年築)です。東京商科大(現一橋大)、大阪商科大(現大阪市立大)と並び旧三商大と呼ばれた神戸商業大学の本館として建てられました。

dg09.jpg(参考画像)

この真ん中の塔あたり。オーダーこそ無いものの3連アーチ窓、色こそ異なるもののスクラッチタイル、そして軒に巡らされたロンバルディア帯…どことなく、土居画廊と共通点が見出せませんか?まぁ設計者が同じなんてことはあり得ないでしょうけど(旧制大学と地方の商店ですもんね)、要はデザインからして時代的に近いのでは?って話です。

蛇足が長引きましたが、何はともあれこの土居画廊は戦前建築のカテゴリに入れさせていただきます。たとえ建造年が戦後だとしても、建物が纏う雰囲気が戦前のそれだったら良いんじゃないか、ということで無理矢理まとめましょう。


(2014年7月25日追記)

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先日福岡に戻った際、近くを通ったので久しぶりに寄ってみたところ…

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いつの間にか解体され更地になっていました。

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以前から使用されている雰囲気ではなく建物も少々くたびれていたとはいえ、福岡市の中心市街地に残る希少な看板建築だっただけに残念でなりません。

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