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2014/07/26 (Sat) 23:59

志免炭鉱 竪坑櫓

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志免炭鉱 竪坑櫓
福岡県糟屋郡志免町志免495-3/1943年竣工/鉄筋コンクリート造

本日より糟屋郡の志免町などにあった炭鉱、旧国鉄志免鉱業所(志免炭鉱)をボチボチ紹介していきます。志免炭鉱では周辺の宅地化に伴い跡地の大部分で再利用が進んでいますが、かつての炭鉱施設の一部が産業遺産として保存されており、特に鉄筋コンクリート造の巨大な竪坑櫓は地域のランドマーク的存在として多くの人々に愛されています。

遺構の概要や炭鉱全体の歴史などについては既に各所で紹介されているので、当ブログの記事では最近撮影した遺構の写真、それと数年前に行われた保存整備の工事の様子を中心に取り上げていきたいと思います。まず今回は2013年3月~2014年1月に撮影した竪坑櫓の写真です。なお今年7月の様子は先日の雑記にてお伝えしています。

志免炭鉱竪坑櫓、補修工事始まる?


(志免町総合福祉施設「シーメイト」敷地内より近景)

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竪坑櫓北側より反時計回り。

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(同地より竪坑櫓詳細)

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屋上へ通じる階段室。塔屋上の鉄塔は避雷針、階段室外壁に導線の跡。

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10年前の台風でコンクリート片が周辺に落下したため、櫓から半径40mは柵が設けられ立入禁止になっています。当然内部への侵入も禁止されており、櫓の足元は鉄格子で厳重に封鎖。2008年春まではさらに有刺鉄線付きの高い鉄壁で囲んでありました。

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櫓の構造自体は鉄筋コンクリート造ですが、北東側の壁をよく見ると開口部の断面から煉瓦が覗いています。当初の仕様なのか閉山後に廃材を利用して塞いだのかは判らないものの、一部の壁にこうした煉瓦やコンクリートブロックが用いられています。

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もともとの造りが頑丈であるため今のところ構造上の問題はないとされていますが、外壁の剥離によって露出した部分から雨水が染み込み、鉄筋の腐食ペースを速めているのだとか。数年前に櫓に絡みついていたツタが取り払われたのも、そうした事情が関係していたと記憶しています。

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避雷針の先端がやけに光り輝いていました。最近交換されたのでしょうか?

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滑車(プーリー)が設置されていた部分。

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南東側にある階段。

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柵の内側に設置されているのが少々残念ですが、経産省認定の「近代化産業遺産」と国指定重要文化財の碑。

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おまけ。広場に伸びた竪坑櫓の影。


(炭鉱跡地周辺より遠景)

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ボタ山頂上より。

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写真右奥に見える竪坑櫓のイラストは、同町の県道24号水車橋付近で行われている治水工事(月隈第27雨水幹線)の現場のもの。

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東側、かつての舎宅街から。

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南西側。

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ちなみにこの近辺はもともと農家だったような造りのお屋敷が目立ち、炭鉱ができる以前に成立した街のような印象を受けました。実際のところ糟屋郡は炭鉱とは関係のない古い建物や魅力的な街並みも意外と多く、これらについてもいずれ紹介できればと思います。志免炭鉱シリーズの開始直後からこんなことを言うのも何ですが…。

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