志免炭鉱 ボタ山

竪坑櫓や坑口が保存されている志免町の総合福祉施設「シーメイト」の北側、県道91号を挟んで向こう側にある小高い山が志免炭鉱のボタ山です。炭鉱敷地のすぐ近くにボタ山が形成されるケースは志免炭鉱のような大規模炭鉱では比較的珍しく、また竪坑櫓・斜坑口・ボタ山の3点がセットで残っているのも国内では希少な例であるといえます。
ちょうど粕屋・志免・須恵の3町の境界にまたがる形で存在する大きなボタ山ですが、志免側にあった最も高い峰と粕屋側の峰は閉山後に削られており、現在もきれいな三角形のシルエットが拝めるのは須恵側から運搬線が伸びていた峰(西原硬山)です。
この西原硬山は国土地理院の航空写真で見ると1961年からその姿が確認でき、志免炭鉱では比較的遅い時期に形成された峰であることが分かります(閉山は1964年)。ちなみに形成以前のこの場所にはスリーマイル原発にある放熱塔のような形状の巨大な構造物が存在しており、竪坑櫓に勝るとも劣らない存在感を放っていたようです。
放射状に伸びていたボタ運搬線の起点付近。この辺りは閉山後の一時期にグラウンドとして再利用されていたそうで(近くに住んでいた友人からの伝聞)、特に遺構が残っているような雰囲気はありませんでした。
近年、運搬線の跡に沿って登山道が整備されており、イベントなどで開放された際は頂上まで登ることが可能です。写真は頂上に生えているパセリみたいな木。
南東方向より遠景。
北東方向より、須恵川越しに。なお今回使用した写真も2013年3月~2014年7月の撮影です。
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