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2014/07/29 (Tue) 15:00

志免炭鉱 酒殿坑

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竪坑櫓やボタ山のある辺りから北に少し離れた場所、粕屋町酒殿(さかど)にも志免炭鉱の施設がありました。現在跡地の大部分は住宅地となっていますが、坑口の一部と思われる遺構などが空き地の中に残っています。上写真はボタ山頂上から撮影したもので、中央奥に見える倉庫のような建物の周辺が酒殿坑跡の空き地。写真手前は志免炭鉱の前身である旧日本海軍の新原(しんばる)採炭所の石炭輸送を主な目的として建設されたJR香椎線です。

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写真中央奥、民家の手前に見える半円形の黒い構造物が坑口の一部と思われる遺構。昨年夏に撮影したためほとんど雑草で隠れていますが、冬場に近づいて撮影した写真は残念ながら消えてしまったのでコレでお許しください。

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雑草の生い茂る空き地、遠くにボタ山が見えます。

酒殿坑は坑内の排気を目的として1941年に開坑したとのこと。志免炭鉱の閉山が1964年なので、操業期間は25年と比較的短命だったようです。しかし閉山後の1969年には酒殿坑跡に通商産業省(現・経済産業省)の九州鉱山保安センターが開設され、以来炭鉱の安全に大きく貢献しました。池島炭鉱(長崎県)が2001年に閉山し九州から炭鉱が消えたことで同センターも役目を終え、建物1棟を残して施設は解体され現在に至っています。九州の石炭産業の歴史を語る上では重要な場所といえるため、できれば何らかのモニュメントが現地に欲しいところですね。記念碑でも案内板でもいいので…。

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(参考画像)

ちなみに九州鉱山保安センターの前身となった施設は筑豊の直方市にありました。現在の直方市石炭記念館がある場所で、建物裏に救護訓練坑道が残っています。



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おまけ。住所は隣町の須恵町植木となりますが、酒殿坑跡の近くに炭鉱の購買所を思わせる小さな商店が2軒あります。こちらは空き地から100mも離れていない住宅地の中にある川上商店さん。撮影時から営業されていないような雰囲気でしたが、昨年11月撮影のストリートビューを見ると残念ながら解体されたようです。

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もう1軒は300mほど南の香椎線沿いにあります。こちらは建物こそ残っているものの、やはり営業はされていない様子。

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それでも目の前にある踏切の名称に「購買店」の文字が。電柱の名称もそうですが、意外なところに地域の歴史を知る手がかりが隠れていますね。

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すぐ隣には購買店前2号踏切も。さらに数年前まではバス停の名前にも残っていたのですが、バス路線の廃止により現在は見られません。

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いずれも志免鉱業所の購買だったかどうかは確認していないため、このような形での紹介となりました。そういえば二枝ビルの記事を書く際に参考にした資料には購買がどこにあったか載っていたと思うので、いずれまた確認しましょう。



おまけのおまけに、炭鉱の購買所に関連して。炭鉱住宅がそうであるように炭鉱では労働と生活が密接な関係にあり、食品から日用品まで揃った購買所がありました。閉山後は個人商店として存続するケースがほとんどでしたが、そのままスーパーマーケットに発展した例もあります。

その多くはもともと経営規模の大きかった財閥系炭鉱の購買所で、糟屋郡宇美町にあった三菱勝田炭鉱からは「大洋ストア」が、大牟田市などにあった三井三池炭鉱からは「サンショー(三池商事)」が誕生し、また長崎県の池島などで採炭を行っていた三井松島産業は「パイン」を経営していました。大洋ストアはサニー(福岡市)との業務提携などを経て消滅し、サンショーとパインの一部店舗はマミーズ(柳川市)に引き継がれています。また炭鉱ではないものの筑豊炭田と深い関わりのある八幡製鉄所の購買所からは、現在は西鉄ストア系列となっている「スピナ」が生まれています。

私のような世代の人間にとってスーパーのルーツが炭鉱の購買所にあるというのは何だか意外に思えますが、様々なモノのルーツが実は炭鉱にあるというのは産炭地だと珍しい話ではありません。生まれ育った地域の生まれる前の歴史を垣間見る度にまた少し自分と地域が溶け合ったような気分になれるので、この手の話は面白くてたまんないですね。

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