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2014/07/29 (Tue) 21:00

志免炭鉱 舎宅など

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炭鉱の労働者が暮らしていた住宅といえば普通は「炭住」や「社宅」と呼ばれますが、志免炭鉱は国営だったため「舎宅」という表記が用いられていました。ただし住宅のスタイルは木造平屋のものが主流だったようなので、名称以外は一般的な炭鉱住宅と特に変わらないようです。

大規模な炭鉱だっただけあって舎宅の数も多く、山田炭鉱の社宅のように全て見て回るのは流石に難しそうなので、街をウロついて出くわしたかつての舎宅らしき住宅を簡単に紹介します。今回の写真は2013年3月と2014年1月の撮影。

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志免炭鉱の閉山は1964年6月30日。閉山から半世紀が経過した舎宅街の現状は、まだまだ現役であるものから打ち捨てられたもの、建て替えられたものまで様々でした。閉山後100年の節目には自分もまた暇している頃(予定)なので、その際は変化の模様をお伝えできるかと思います。



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おまけ。国鉄が所有する舎宅だったためか、舎宅街を歩いていると唐突に国鉄の境界杭(旧工部省に由来する「工」マーク)に出くわします。普通はJRの沿線や廃線跡で目にする存在なので、何の変哲もない住宅地で遭遇するとちょっと不思議な気分。

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さらに志免炭鉱オリジナルと思われる「志」マークの境界杭も至る所に存在します。写真は炭鉱の病院があった高台への入口で、他にも志鉱会館(旧共済会館)などの跡地に整備された志免東公園の周辺や、専用軌道跡の道路沿いなんかでも見られます。舎宅街を歩いて回る際には足元にも注意してみると面白いかもしれません。

志免炭鉱跡の現況は今回で終わりです。次回からは数年前に行われた竪坑櫓周辺の整地工事の様子を紹介していきます。

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