志免炭鉱 2007年1月~2008年6月
私が初めて志免炭鉱跡を訪れたのは2005年頃、竪坑櫓の見守り保存が決定した頃だったと記憶しています。以来なんだかんだで毎年1度は必ず訪れており、かれこれ10年近く通い続けていることになります。残念ながら3年前に当時写真を保存していた外付けHDDが故障してしまい、それ以前に撮影した志免炭鉱の写真のほとんどは駄目になったのですが、2007年1月~2009年1月撮影分の一部はウォークマンに保存していたため難を逃れました。
ちょうど同時期には竪坑櫓周辺で整地工事が行われており、これらの写真もある意味で貴重な記録といえなくもないので、手元に残っている内の154点を3回に分けてご紹介したいと思います。全て先代カメラでの撮影であり撮り方も今以上に下手くそで、見苦しい写真もありますがその辺はお許しください。まず今回は2008年6月撮影分まで、整地工事が始まる前の様子です。
(2007年1月20日)

手元にあるものでは最も古い志免炭鉱の写真。
ちょうど同時期には竪坑櫓周辺で整地工事が行われており、これらの写真もある意味で貴重な記録といえなくもないので、手元に残っている内の154点を3回に分けてご紹介したいと思います。全て先代カメラでの撮影であり撮り方も今以上に下手くそで、見苦しい写真もありますがその辺はお許しください。まず今回は2008年6月撮影分まで、整地工事が始まる前の様子です。
(2007年1月20日)

手元にあるものでは最も古い志免炭鉱の写真。
第八坑連卸坑口。現在に比べ少し埋もれる形で残っていましたが、周囲に柵はなく間近での見学が可能でした。
(2007年3月25日)

同じく八坑連卸、レールの隙間から除いた内部。少し潜った所でコンクリートによって密閉されています。
(2007年6月10日)

炭鉱跡地の西側から。

当時は櫓にツタが絡みついており、この季節になると葉が青々と茂っていました。


公園の築山から。
(2007年7月1日)

敷地北西側にあった坂道(現在の県道91号の旧道)から。この旧道も整地工事の際に無くなりました。
(2007年7月23日)

夏の夕暮れ。
(2007年8月31日)

(2007年11月12日)

ツタの葉も色づく季節。
(2007年12月2日)

ボタ山もすっかり赤く染まっていました。

ここの雑草は現在よりももっと高かったような記憶があるのですが、これは単に私の身長が伸びただけでしょうね。


夕暮れ時。
(2007年12月23日)

数年前からクリスマスや年末年始には竪坑櫓のライトアップが行われています。





ライトアップを実際に見たのはこの時が初めてであり、また櫓の外周も特別に開放されていたので興奮しっぱなしでした。
(2008年2月11日)




久々に八坑連卸を覗き込む。

(2008年5月5日)

少々飛んでゴールデンウイーク。

若葉が目にしみる季節にございます。

原っぱの向こうに八坑連卸。当時はこの土の下に他の坑口が眠っているとは全く思ってもいませんでしたね。

鯉のぼりと竪坑櫓。


帰り際に遠景。
(2008年5月26日)

足元の筋交いも緑に包まれています。そういえば手前の鉄壁には赤文字で「立入禁止」と書かれていたのですが、何故か振り仮名が「たちいりげんきん」となっていたことを思い出しました(どうでもいい)。

(2008年6月14日)

じめじめ。



やはりこうしてツタが絡まっていると、産業遺産よりも廃墟としてのイメージが勝ってしまいますね。


もちろん第八坑連卸坑口も、

またボタ山も緑に包まれていました。次回より整地工事が始まります。
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