志免炭鉱 2008年12月~2009年1月
(2008年12月7日)

3週間ぶりの訪問。

3週間ぶりの訪問。
トンネルに出くわしたのはこの日のこと。
ボタ山に登ったのも、この日が初めてでした。
オマケに登山道から見た東側の景色。この周辺も現在は大きく変わっています。
(2008年12月14日)

この日は当時の自分としては珍しく(笑)午前中の訪問。



この時既に八坑本卸の上に石炭が乗っけられています。

(2008年12月20日)



整地工事が進み随分きれいになりました。



坑口周辺では作業の真っ最中。



坑口の周りを囲むように薄っすらと土が盛られ始めています。この措置の意味する所が埋め戻しや撤去などと対極にあることは明らかであり、ここでようやく保存への期待が確信に変わりました。


ついでに第五坑南側坑口。こちらの工事は完了した様子。
(2008年12月23日)

再びこの日がやって来ました。



今回は整地工事の中でのライトアップです。



翌年も翌々年にも見に行っているのですが、手元に残っているライトアップの写真はこれが最後。是非ともまた撮りに行きたいものです。
(2008年12月29日)

このアングルは久しぶりです。


以前は荒れ放題だったこちらの斜路にも手が加えられ始めています。
この斜路について少し言及しておくと…斜路の側面には竣工年月と思われる1968-7との数字が刻まれており、炭鉱と直接的な関係はありません。恐らく跡地の一部がモータープール(新車の集積場)として使用されていた時期の設備だと思われます。敷地のすぐ南側を通っていた香椎線貨物支線は石炭輸送のために敷設された路線であり、炭鉱の閉山後はほとんど使われていませんでした。そこで同路線を遠く愛知県からの自動車輸送に利用し、炭鉱跡地を配送拠点として活用していたのです。消防団の格納庫やバス停のある辺りの細長い敷地が当時の貨物駅の跡。貨車から降りた自動車はこの斜路を通り、高台にあるモータープールに移動していたのでしょう。

恒例となったオマケの五坑南側坑口。工事中は1度しか訪れていないクセに、工事が完了してからは何故か頻繁に様子を見に来ています。
(2009年1月3日)


八坑連卸もすっかり盛土に囲まれていました。

ボタ山斜面の謎のモコモコ。


(2009年1月11日)

整地はほとんど完了したようです。
(2009年1月18日)


スロープも完成していました。

(2009年1月24日)

この日は雪が降っていたので、雪景色を狙って訪れました。




















流石に竪坑櫓周辺では一面真っ白とまではいかなかったものの、ボタ山は中々きれいな雪景色でした。
その後も整地工事は続き遺構の周囲に柵が設置されたり芝生が整備されたりしたのですが、手元に残っている写真は残念ながらここまでです。これで終わりとなると中途半端な感じになってしまうので(汗)、次回はここ数年での変化が分かりやすいように現在の写真と並べてみようと思います。
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