吉塚一丁目の商店街(仮称)

吉塚一丁目の商店街(仮称)
福岡市博多区吉塚1丁目/戦前~戦後初期/木造2階建など
福岡市の吉塚地区は、周辺の千代・堅粕とともに古くから栄えていた街です。この辺りも空襲の被害を免れたため、以前紹介した箱崎同様、古い木造建築が今なお多数残っています。なかでも昭和の面影を色濃く残す「吉塚商店街(吉塚連合市場)」は、JR吉塚駅近くにありレトロな雰囲気の吉塚を代表する場所として知られていますね。
しかし、そんな吉塚にもう一つ、古い商店街が残っているのをご存じでしょうか。今回紹介するのは、県道552号馬出上南町線の吉塚一丁目交差点付近にひっそりと残る、小さな古いアーケードを備えた商店街です。
※グーグルマップより
マップの赤いピンが刺さったブロックが、この商店街が残る場所。赤いピン(友盟堂薬局)を起点に、県道に対して垂直方向に建物が並んでいるのが分かりますか?※グーグルマップより
これを航空写真で見てみると、このようになります。吉塚一丁目交差点の角は駐車場になっていますが、同じブロックのもう半分に比べて瓦葺きの古い屋根が並んでいますね。
ブロックの西の角から撮影。この角度だと通りに面した商店が連なる、何の変哲もない街景にしか見えません。しかし、実はこれらの店舗の裏側に、アーケードを備えた小路が隠れているのです。画像中央の白い建物と画像左の茶色い建物の間隔が、少し空いていることが分かりますでしょうか。ここがアーケード街の西側の入り口です。
こちらがその入り口。直線的で距離も短く、向こう側の明かりがすぐ先に見えているのですが、古い商店街であることを差し引いてもあまりに生活感溢れる空間であり、立ち入るのが少しためらわれます。
とはいっても、現在は手前の茶色い建物が大幅に改装され薬局になっているので、以前よりもオープンな空間になっています。昭和のノスタルジーな雰囲気が好きな方にとっては、魅力がやや減少したかもしれませんね。
ちなみにこの写真含む数点のみ2013年2月28日の撮影で、ほかは2012年10月7日の撮影。この差5か月の間にこちらの薬局はオープンしたようです。
内部はこの通り。見上げれば白いボードは所々抜け落ち、さらに上の屋根の裏側が露わになっています。
その上の屋根のようすをじっくり観察してみると、私たちのよく知る商店街のアーケードと少し異なる点に気付きます。多くのアーケードは街路の覆いとして設置されたため店舗とは独立した構造になっていますが、ここでは通路を挟んで北側(画像左側)の建物の屋根が通路上に庇となって伸び、南側(画像右側)に並行して別の建物が建っているといった感じです。
したがってこの商店街では、通路の上に独立したアーケードを備えているのではなく、一方の建物の平(⇔妻)側が通路になっていると考えたほうがよさそうですね。いわゆる庇下といった片屋根式アーケードに並行して建物を建てることで、商店街を形成している珍しい例だといえます。
今度は吉塚一丁目交差点から。以前はおそらく角地にも店舗が建っていたと思われますが、現在は駐車場となっているため、一方の建物から庇状に屋根が伸びているようすがよく分かります。画像右方向に延びるのが県道552号線で、県道に面したこげ茶色の建物(友盟堂薬局)の横までアーケードは続いています。
チラシの裏に描いた落書きですが、昔はこんなだったんだろうなーという想像図です。アングルはひとつ前の写真(y1s011)を俯瞰した感じで。あくまで想像図ですから、細かいところは気にしないでくださいね。
再びアーケード内部。剥落した部分も多い天板ボードですが、もともと空いていた思われる箇所も見受けられます。
竪穴はそのまま直上の屋根につながり、明り取りの機能を果たしています。これは照明技術が発達していない時代の工夫で、戦前の旅客列車にも近似した手法が見られます(ダブルルーフ)。この商店街のもつ歴史の深さを物語っている設備であり、見学の際の見どころのひとつといえるでしょう。
そんな注目すべき点もある一方で、やはり老朽化による痛みのほうが今となっては目立ちますね。北側の建物は竹で組まれた土壁が露わになっています。
こうして見ると屋根の荒れ具合も目立ちます。天板ボードは剥落というより割れているような箇所が多いのですが、まさかこの上を歩いて踏み外した、なんてことではないですよね。さすがに。
ボードだけでなく、屋根組そのものも相当きているようです。建物の屋根と一体になっているためアーケードだけを撤去することは容易でなく、角材により所々補強されています。時代に取り残されたかようなセピア色の空間のなかで、真新しい角材の周囲だけがフレッシュな雰囲気に包まれています。
まもなく東側の出口。右手が駐車場になっているため、こちら側は明るく味気ない印象。隅には古い木材が積み上げられています。
県道に突き当り、アーケードはここで終了。この末端区間だけ鉄骨の純アーケードになっていますが、おそらく友盟堂薬局が店舗を建て替えた際に併せて更新されたのでしょう。積み上げられていた部材は旧アーケードのものかもしれません。それからアーケードが中途半端なアーチを描いているのは、駐車場の整備に伴い通路の幅を狭めた際、アーケードも切り取られたためだと思います。
旧来の店舗が残る部分も、駐車場に面した一部区間のみアーケード(庇)が少し短くなっているようです。天板ボードも駐車場側の半分が取り払われ、片流れ屋根のようになっています。
通路挟んで北側の建物は長屋形式で連なっていますが、ブロックの真ん中あたりで一旦途切れ、アーケード(庇)も中断しています。うち東側の区間は友盟堂薬局の建て替えや信号角の駐車場化で大きく様変わりしており、商店街の雰囲気が残るのは主に西側の区間です。
特にこの「衣料品店」「高級婦人服」の文字は、荒廃した空間において往年の賑わいを物語る唯一といっていい存在でしょう。他のシャッターには文字は残されていませんが、高級衣料の取扱いがあったということだけでも、商店街の格の高さを示すにはじゅうぶんであると言えます。
通路北側の長屋(西側)を裏から。2階には後年の増設と思われるバルコニーが並んでいます。昔から1階は店舗、2階は住宅といった感じで使い分けられていたんでしょう。
ここで考えてみたいのは、この商店街はいつごろ成立し、またなぜ荒廃するまでに至ったのか、ということです。戦後に自然発生的に展開された吉塚連合市場が食料品に重きを置いていたのを考慮すると、両者の間には成立の過程や客層に差異があったように思われます。こちらの商店街は、はたしてどのような商店街だったのか。
推測の材料となるのは、やはり「高級婦人服」の衣料店でしょう(というより、当時の店舗構成を知る手掛りがそれぐらいしか残っていないんですよね)。高級衣料を売るだけの余裕があるということは、戦前か、戦後復興期以降のいずれか。"高"の字がハシゴ高の"髙"でないことからも戦前はないかなーと思っていましたが、調べてみると意外なことに戦前から印字は既に"高"で統一されていたようです。シャッターウィンドウも早いものでは戦前から普及していましたし、戦中・戦後混乱期を経て高級衣料が売れなくなり閉店、核店舗を失い商店街自体も次第に衰退…なんてことも、考えられなくもないかもしれません。まだまだ調べる余地はありますが、当面はこの説を推したいです。
前述したとおりここのアーケードは構造が特殊なので、屋根が一体となっている建物が解体されない限りはこのまま残り続けるでしょう。長屋ですから部分的な改造はあれど、一人の意向で丸ごと建て替えというのは難しいです。つまりお住まいの方がいらっしゃるうちは、当面安心だと思われます。どちらかというと、老朽化で形を保てなくなることを心配すべきかもしれません。どうやら木造のアーケードというものは貴重な存在らしいですから、福岡の街の歴史を伝える生き証人としてこれからも在り続けてほしいですね。
(7月26日追記)

アーケードの構造が文章だと伝わりづらいかと思いましたので、簡単な図解を載せておきます。これまた私の想像ですので、建物の形など現物と異なる点はご容赦ください。例えば北側の建物は切妻で表現していますが、実際はひょっとしたら片流れ屋根かもしれません(狭い土地に建物がごちゃごちゃ建っているため確認は困難)。
冒頭のマップ上部に紫色のピンを刺しています。

そこにあるのは、角のタバコ屋さん。瓦の立派な庇と、二階窓の欄干が特徴です。

昭和時代のイメージって何?って訊かれたら、私は「街角にタバコ屋がある」と答えます。続けて「そのタバコ屋は地域の目印となっており、道案内をする際に『角のタバコ屋さんを曲がって…』などと用いられる」と私は述べます。

少し離れた場所からみると、とんがり頭の屋根が見えます。スレートか何かで葺かれていますが、昔は瓦だったんでしょうね。
吉塚界隈には、こんな感じで味のある古い建築が点在しています。特に、入母屋造の平屋の住宅が隣の堅粕地区にかけてめっちゃ残っていますね。グーグルの航空写真で見たら、そこらじゅう古い瓦屋根で心臓ばくばくです。ストリートビューにも対応してるので、ネット上で街歩きするにもおすすめの街といえます。
コメント
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2019-07-15 13:47 編集
Re:
当ブログの主目的は古い建物や街並みを記録・公開することですので、
ご縁のある方にそう言っていただけると励みになります。
拙い記事ですが、少しでもお役に立てたなら幸いです。
ちなみにGoogleストリートビューに昨年の風景が映っていました。
ご存知かもしれませんが、リンクを貼っておきます。
⇒https://goo.gl/maps/k72RAVpFYjGbW3FT7
2019-07-16 12:29 クータロ URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2019-08-09 10:33 編集
Re: タイトルなし
そのぶん以前と比べると風景が大きく変わってしまったことでしょう。
ただ、この交差点から小学校辺りの交通量は今でもそこそこあり、
道幅が狭い割に大きなトラックも行き交っています。
県道607(旧国道201)号線への抜け道になっているのかもしれません。
こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました。
2019-08-12 21:44 クータロ URL 編集