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麻生山田炭鉱に関する調査の進捗状況  

やや大げさな表題ですが…昨年6月にひと通り記事を作り終えた後も、図書館で資料を漁ったり、年末年始に再び現地を訪れたりと、麻生山田炭鉱のことについて色々と調べ続けてきました。まだまだ分からないことが多い一方で、新たな情報や遺構もそこそこ確認することができたので、とりあえず雑記という形で簡単に紹介しておこうと思います。



まずは歴史についての誤りを一つ訂正。炭鉱の概要を取り上げた最初の記事(⇒麻生山田炭鉱)の年表で、第二坑と第三坑の開坑・閉坑年月を取り違えていました。実際には第三坑のほうが第二坑よりも早くに開坑・閉山しています。

第二坑) ×1952年開坑・1954年閉坑 → ○1955年開坑・1958年閉坑
第三坑) ×1955年開坑・1958年閉坑 → ○1952年開坑・1954年閉坑

一見すると番号と採掘時期が前後しており不自然に思えますが、これには開坑以前のことが関係しています。『麻生百年史』掲載の表に「施業案の認可又は届出年月日」の欄があり、それによれば第二坑が第一坑と同じ1948年7月19日、第三坑は1952年7月25日と記載されています。つまり各坑の番号は実際に採掘を始めた順ではなく、事業を計画した順に割り振られたものであり、また第二坑は計画から採掘開始まで少し間が空いていたという訳ですね。

ちなみに第二坑・第三坑とも採掘期間は僅か数年にとどまっていますが、いずれも当初から第一坑を主力と位置付けたうえで「補助的に開坑した」とのことです。



次に、現存する遺構について明らかになったことを。

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グラウンド(麻生久山球場)の裏側に残るこの遺構(⇒【遺構その9】原炭フィーダー)。遺構下部に付いていた銘板から、記事では「原炭フィーダー」という名称を用いていましたが…後になって様々なワードでググってみると、こんなページがヒット。供給機・搬送機の項目に「レシプロフィーダー」という機械があります。

株式会社 郷鉄工所 > 事業内容 > 破砕機紹介

どうやら「原炭フィーダー」というのは、遺構下部に設置されていたであろう機械を指す模様。現在見られる遺構自体の名称としては「原炭ポケット」が正しいようです。

用途については概ね記事で述べていた通りで、上部に備え付けたチップラー(炭車を反転させる装置)で原炭を内部に蓄えていたことが資料で確認できました。この遺構の隣に存在するコンクリート支柱(⇒【遺構その10】坑外軌道橋脚?)も、表題通り坑外軌道の橋脚だったと考えて良いでしょう。

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それでは選炭場跡の高台に残るこちらの遺構(⇒【遺構その7】原炭ポケット)の名称はどうなるのかというと…こちらは「選炭機原炭ポケット」というのが正しいようです。用途はやはり記事で述べていたように、前述の原炭ポケットからベルトコンベアーで運ばれて来た原炭を貯蔵する施設だったとのこと。ただしコンベアから直接流し込んでいた訳ではなく、上部に据えられていた機械(インパクトスクリーン、ブラッドフォードブレーカー)によって選炭の初期工程となる作業が行われていました。

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なお選炭場の中腹に位置するこちらの遺構(⇒【遺構その2】ホッパー)についても「精炭ポケット」なる名称が確認できましたが、当遺構で索道のゴンドラに石炭を積み込んでいたこともほぼ確定的となったので、「出荷・積込まで貯めておくための施設」という意味合いでの通称としてはホッパーでも良いかな~と思います。

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続いて斜坑やその巻上機といった主要な施設に関する情報。こちらの地面から顔を出した遺構(⇒【遺構その15】坑口跡?)は記事でも触れたように多少の不安要素こそあるものの、記事内で述べた推測が正しければ「第一坑新卸坑口」の頂部ということになります。

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その延長線上にあるこちらの遺構(⇒【遺構その18】巻上機台座)は用途がほぼ確定的なので、「第一坑新卸巻上機台座」であると考えて良いでしょう。なお資料によれば第一坑新卸は1961年頃から閉山(67年)にかけて採炭が行われ、また巻上機の出力は800HP(≒600kW)とのことです。

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それでは近くに並ぶようにして存在するこちらの遺構(⇒【遺構その16】巻上機台座?)は何なのかというと…こちらも各種推測が正しいことが大前提となりますが、「第一坑本卸巻上機台座」である可能性が高いです。なお年末年始に現地を訪れた際、『麻生百年史』などの掲載写真から導かれる場所に坑口(第一坑本卸)を埋め戻した跡と思われる盛土があること、また当遺構がその延長線上に位置することを確認しました。

資料によれば第一坑本卸での採炭は操業開始当初から1958年頃まで行われていたとのこと。当遺構の脇には統制証マーク付き(戦時中または戦後すぐに製造されたと思われる)の瓦が残されていましたが、この瓦が巻上機室の屋根に使用されていたものだとすれば、時代的にも納得がいきますね。

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ちなみに第一坑本卸の採掘終了から新卸の出炭開始までの間には、「右卸」にて採炭を行っていたとのこと。この1958年頃~61年頃に存在していたという点、また資料に掲載されていた坑内図から推測した位置関係を踏まえると…オマケ回として紹介した現存しない施設(⇒麻生山田炭鉱 第3坑?)が、どうやらその「右卸」であるようです。なお念のため現地付近(上写真)を訪れてみましたが、やはりボタ山整地工事に関連してか一帯は大きく手が加えられており、遺構らしきものは見当たりませんでした。

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個人的に最も大きな収穫(?)だったのが、「坑口らしき遺構」として紹介したこちらの遺構(⇒【遺構その14】坑口跡?)。以前よりも更に頑張って目一杯手を伸ばし、フラッシュを焚いて撮影したところ上のように写りました。記事では「ただの陥没穴かも」と前置きをしていましたが、コンクリートで巻かれたアーチ状の断面、斜めに地中へと潜っていく角度、土砂で行き止まりになっている奥部など…閉塞された坑口であることを強く思わせる特徴が見て取れます。

残念ながら当遺構が坑口だと裏付ける資料には行き当たっていませんが、現地での位置関係を考慮すると『麻生百年史』などの掲載写真に埋め戻し前の姿が写っているように思えます。用途については恐らく排気坑口で、主扇(主要送風機)ではなく予備の送風機を備えていたものと現時点では考えています。

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ついでに同記事でオマケとして取り上げていた、原炭ポケット付近の軌道跡にぽっかりと空いた竪穴について。これは流石に坑口ではなさそうですが、ボタ山(2つあったうちの北側の峰)の運搬線の起点付近がトンネルになっていたことが当時の写真などで確認できたので、ひょっとしたらそれに関係する陥没穴なのかな?と思いました。



さらにブログ『=☆ ともんちゅと愉快な仲間たち ☆=』(リンク切れ)で存在を知った、以下の3つの遺構を昨年末の訪問時に見てきました。

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1つ目は巻上機の台座らしき遺構。第一坑新卸のスロープに沿った斜面を上った所にあり、コンクリートのピット(写真奥)と錆びついた歯車(写真手前)が残ります。新卸はおろか本卸の台座と比較してもかなり小規模なので、恐らく巻上機の出力も小さいものだったと思われますが…にも関わらず遺構の先は急な下り斜面となっており、坑口やスロープの痕跡も全く見られないなど、現時点ではよく分からない存在です。

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2つ目と3つ目はコンクリート製の貯水槽らしき遺構で、それぞれ丘のてっぺんに位置しています。3つ目はかなり高い所にあり、水関係の遺構の中でも最も規模が大きいため、恐らく炭鉱で使用する工業用水の配水池だったものと思われます。



他にも色々と明らかになったことはあるものの、今回はあくまで経過報告ということで、この辺りで切り上げたいと思います。なお略史年表の誤りについては当該記事でも訂正していますが、各遺構の記事ではまだ加筆修正を行っていません。それらはいずれ手を付けるとして、とりあえず当面は調べ物の方を優先させることにしましょう。

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