旧制熊本高等工業学校 初代本館の基礎

熊本大学の黒髪南キャンパス(熊本市中央区黒髪2丁目)にて、同大工学部の前身である旧制熊本高等工業学校の初代本館の基礎が発掘されました。本日開かれた現地説明会に行ってきたので、その模様をお伝えします。
◎赤れんが基礎発見 熊本大・黒髪南キャンパス (熊本日日新聞)
◎【4月17日・18日】「焼失した熊本高等工業学校旧本館の謎に迫る-赤煉瓦基礎を発見!-」と題して現地説明会を開催します (熊本大学HP)
基礎が見つかったのは大学本部棟=冒頭写真の裏手(南側)など。この本部棟は初代本館が1922(大正11)年に火災で焼失したことを受け、旧熊本高工の2代目の本館として同じ場所に建てられたもの。1925・大正14年竣工の鉄筋コンクリート造建築で、国の登録文化財となっています。
今年の3月に築後90年を迎えた歴史ある建物ですが、今後も大学の本部機能を担う施設として引き続き使用すべく、耐震・バリアフリー化といった改修工事が予定されています。今回ご紹介する初代本館の基礎は、それに先立ち行われた埋蔵文化財の発掘調査にて発見されたのでした。
あくまで改修工事が本来の目的であり、また近代以前の埋蔵文化財も調査する必要があるため、残念ながら来週頃には撤去されてしまうとのこと。関係者の方によれば保存するにも場所が足りないそうですし、こうして一般向けに説明会を開いて下さっただけでも感謝しないといけませんね。
という訳で前置き終了、ここからがようやく本題です。なお、これより初代本館を「旧本館」と表記し、また本部棟は旧本館と対比させる場面に限り「新本館」と表現します。
まずは本部棟右側面(西側)の発掘現場。建物の周囲が1mほど掘り下げられています。
黒々とした土が露わになっている中、赤煉瓦積みの細長い構造物が本部棟に沿って続いています。これが旧本館の基礎とのことです。
説明会で配布された資料によると、旧本館は1908・明治41年竣工、木造2階建て(一部3階)の洋風建築。新本館よりも大規模な建物であり、そのため当時としては頑丈な煉瓦造の基礎が採用されたようです。なお内部は下から順に栗石敷き→栗石入りコンクリート→煉瓦積みで構成され、その上で周囲を土で突き固めていたことが確認されています。
また新本館の建設時の資料において、一部に旧本館の基礎を流用する旨が記されているそうですが、今回見つかった旧本館の基礎は内側(新本館と接する)が破壊されており、実際には流用されなかったことを示しています。これは当初木造での再建を計画していたものの、旧本館焼失の翌年に発生した関東大震災の影響から、耐震・耐火性に優れた鉄筋コンクリート造に急きょ変更されたためと考えられています。
次に、本部棟背面(南側)の発掘現場。
新本館では両端に背面への張り出しが見られますが、旧本館は加えて中央背面にも張り出した部分を備えていました。ここでは、その中央背面の張り出し部の基礎が発掘されています。
張り出し部、向かって右手の角にあたる部分。
コーナーは特に頑丈に造っているようですね。
こちらで発掘された基礎は比較的状態が良く、長手の段と小口の段が交互に重なった積み方(イギリス積み)がよく分かります。ちなみに基礎の周囲に転がっているふぞろいの煉瓦たちは、用途に合わせて煉瓦をカットした際に不要となったものなんだそう。
本部棟側から斜めに見た張り出し部の全景。
細長く一続きになっている基礎は旧本館の外壁の真下にあたりますが、それとは別に内側にも小さな基礎が点在しています(矢印で示した部分)。これは恐らく床などを支えていたものであり、それ故に建物全体の構造を支える部分に比べて小振りに造られているのでしょう。
煉瓦やコンクリートが失われているものも含め、この小振りな基礎は3×2列の計6基が確認されています。旧本館の平面図と照らし合わせると、この2列の基礎はちょうど内壁部分に、間の細長いスペースは廊下に相当するようです。
イメージとしてはこんな感じ。また廊下の突き当りには裏口が存在し、渡り廊下を通じて別の建物に繋がっていたそうです。ちなみにこの渡り廊下は旧本館焼失の際、学生たちが延焼を防ぐべく必死に叩き壊したのだとか。
発掘された旧本館の基礎についてはこんなもんですが、最後に個人的に最も印象に残った話を。旧本館の裏口(写真左手前)は正面玄関の反対側、背面のほぼ中央に設けられていたのですが…同じく背面中央に設けられた新本館の裏口(写真中央奥)と見比べてみると、位置がズレていることが分かりますね。
これには先述した新旧本館の規模の差異が関係しています。建築面積でみると旧本館は約1587㎡だったのに対し、新本館は1038㎡とやや小さめです。そのぶん建物の幅も新本館の方がややコンパクトになるのですが、先程見た右側面の発掘現場では、両者の基礎は非常に近接した位置にありました。
すなわち新本館は旧本館の両翼をそのまま縮小したような形ではなく、正面向かって右手(西側)に偏った形で建っており、これによって建物中央の位置にズレが生じていることになります。
ここで建物正面へ回ってみましょう。手前は黒髪南キャンパスの正門で、本部棟の真ん前ではなく、僅かに左側に構えられています。キャンパス外縁と建物はきっちり平行に並んでいるだけにズレが際立ち、「どうして建物の正面に門を造らなかったんだろう」と少々違和感を覚える位置関係になっていますが…実はこの正門の位置、旧本館が焼失する以前から変わっていないのだそう。
つまりこの門は焼失した旧本館に基づき設計されたのであり、一見建物に対して門が左にズレているような現在の光景は、新本館が本来のプランから外れて右寄りに建設された結果生まれたものだったという訳です。不可解な位置関係の裏に、大正時代まで遡る深い事情が隠されていたとは、いやはや驚きました。
ちなみに新本館が右寄りに建てられた理由については説明がありませんでしたが、同年竣工の小さな建物(共用棟黒髪7)が左隣に存在することを踏まえると、おおよそ次のような流れでしょう。
(1)再建計画を木造からRC造に変更したため、予算の都合により建物の規模を縮小することになった
(2)敷地を有効活用すべく、旧本館の片側に寄せる形で新本館の位置をずらした
以上、実に9か月ぶりながら珍しく鮮度の高い熊本ネタでした。
(おまけ・熊本大学の近現代建築)
旧名称/竣工時期/構造/文化財指定または登録
◆黒髪北キャンパス

正門(赤門)
第五高等中学校表門/1889年頃/フランス積み煉瓦造/国指定重要文化財

五高記念館
第五高等中学校本館/1889年/イギリス積み煉瓦造2階建/国指定重要文化財

化学実験場
第五高等中学校化学実験場/1889年/イギリス積み煉瓦造平屋建/国指定重要文化財

化学実験場倉庫
第五高等中学校化学教室倉庫/明治後~末期/イギリス積み煉瓦造平屋建

北地区学生会館
熊本大学学生会館/1965年/鉄筋コンクリート造2階建
◆黒髪南キャンパス

工学部研究資料館
熊本高等工業学校機械実験工場/1908年/イギリス積み煉瓦造平屋建/国指定重要文化財

共用棟黒髪4
熊本高等工業学校書庫/明治末期?/イギリス積み煉瓦造2階建

熊本大学本部
熊本高等工業学校本館/1925年/鉄筋コンクリート造3階建/国登録有形文化財

共用棟黒髪7
熊本高等工業学校図書分室/1925年/鉄筋コンクリート造2階建
◆本荘・九品寺キャンパス

医学部山崎記念館
熊本医科大学図書館/1931年/鉄筋コンクリート造2階建/国登録有形文化財
◆その他

孤風院
熊本高等工業学校講堂/1908年/木造2階建
…規模縮小のうえ阿蘇市にて移築保存

熊本大学YMCA花陵会館
第五高等学校YMCA会館/1931年/鉄筋コンクリート造2階建
…黒髪北キャンパスの西側、敷地を出てすぐ
なお、おまけで使用した写真は本日撮影分に加え、2011年7月、2012年4月、2013年4月、2014年1月に撮影したものが交じっています。
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