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JR伊田架道橋  


JR九州 伊田架道橋
福岡県田川市日の出町・大字伊田/1896年頃/鋼製桁+煉瓦造橋台

引き続き、昨年2月に訪れた田川市より。今回はJR日田彦山線の田川伊田~田川後藤寺間にある伊田架道橋をご紹介します。田川伊田駅から西へ数百メートル、伊田商店街の本町通りから続く道との交差部に設けられた、鋼製の橋桁と煉瓦造の橋台による小さな陸橋です。

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この区間は1896(明治29)年2月の開通で、着工は前年10月。現在の平成筑豊鉄道 田川線(行橋~田川伊田間)と同じく、もともとは豊州鉄道*1 という会社が、田川郡で産出される石炭の輸送を主目的に建設した路線です。このため、内田三連橋梁に代表される平成筑豊鉄道の橋梁群と同様に、起点の行橋から見て左手に「下駄っ歯」と呼ばれる工法が用いられています。

内田三連橋梁(Wikipedia)

下駄っ歯とはあらかじめ側面を凹凸状に仕上げることで、将来に拡幅工事を行う際、煉瓦をかみ合わせて接合部分の強度を保てるようにしたもの。同線は単線で開業したものの、将来の石炭輸送量の増加を想定して建設されており、実際に98(同31)年には行橋~後藤寺間の複線化の認可を受けていました。しかし、不況による資金難などで着工には至らず、また九州鉄道への合併によって複線化の必要性が薄れた*2 こともあり、結局は単線のまま今日に至っています。

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ところで、この橋梁のもう一つの特徴として隅石(コーナーストーン)の存在が挙げられます。隅石自体はごくありふれたものですが、注目すべきは下駄っ歯側にも施されている点。前出の内田三連橋梁は下部の石積み部分も凹凸状に積まれており、また同線には石造の下駄っ歯橋梁の例も複数ある*3 ものの、ここではそうした仕上げが見られないばかりか、やや表面の粗い石が使われています。煉瓦の部分には下駄っ歯がしっかり施される一方、隅石には拡幅への配慮が窺えないという、少々ちぐはぐな状態となっているのです。

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下駄っ歯が単なる装飾ではないのと同じで、一見ちぐはぐに思えるこの状態にも、恐らく何らかの理由があるのでしょう。もっとも、それが何なのかは残念ながら分かりませんが…多少関係してそうなものを街中で見てきたので、以下に二つほど取り上げておきます。

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まず一つは彦山川に架かる番田橋。伊田架道橋から北東方向、400メートルほど直進した先にある古いRC道路橋です。道幅が狭い割にはしっかりと造られており、ここからさらに進むと国道322号との合流を経て、香春岳(写真奥)の麓にある旧秋月街道の香春宿へと至ります。

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※画像クリックで拡大

いま一つは南西へ1キロ弱、切り通しに差し掛かる手前にある縣道開鑿紀念碑(県道開削記念碑)という古い石碑。この周辺はかつて岩峠という険しい坂道でしたが、1912(明治45・大正元)年から翌年にかけて開削され、これによって伊田・後藤寺の両市街地が「初めて平坦な道路で結ばれた」とのこと(『田川市史』より)。また後藤寺の先は国道322号との再合流を経て、香春の次の宿場町である猪膝宿へと至っています。

以上二つを踏まえると、伊田架道橋は旧秋月街道か、その代替となる重要な道路に架かるものだったことになります。そうなると先述した「何らかの理由」ですが、道路の改良に伴う補強とは考えられないでしょうか。例えば竣工当初は純煉瓦造だったものの、複線化の見込みが無くなってから道路拡幅が行われ、その際に補強として隅石が追加されたと仮定すれば、下駄っ歯との不自然な同居も説明がつきます。



これらの位置関係をマップにまとめると、伊田架道橋(黄色のマーカー)が伊田・後藤寺を結ぶメインルート(赤色)にあったことが容易に想像できます。ちなみに国道322号のうち、このルートに並行する区間(青色)は、前掲書によれば県道福岡行橋線の一部として1934(昭和9)年に開通したとのこと。以後はメインがそちらに移ったことや、コンクリートではなく石材による補強(という仮定)を踏まえて考えると、改修時期は明治後期~昭和初期でしょうか。

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ただし、隅石が当初から存在していた可能性も否定できません。伊田架道橋から南西へ進んでいくと、田川後藤寺駅構内の奈良架道橋(上写真)、さらに田川後藤寺~池尻間(未訪、マップ参照)の2か所で線路を潜るのですが、いずれの架道橋も下駄っ歯は確認できないものの、橋台の四隅すべてに隅石が見られます。他の橋梁での有無までは調べていないので、これまた仮定となりますが…「主要道路に架かる橋梁に限り、装飾目的で隅石を施す」「輸送量増加が見込まれる区間の橋梁は、複線化に備えて下駄っ歯を施す」という別々の方針があり、それが伊田架道橋では偶然重なったのではないでしょうか。

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長々と妄想を膨らませましたが、この隅石が当初からのものであろうとなかろうと、下駄っ歯と併用されているのが珍しいことには違いありません。見た目は地味ながら色々と考えさせられる、何とも興味深い存在だと思います。

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終わりに、橋梁全体をひと通り見ておきましょう。こちらは田川後藤寺側の橋台で、起点から見て左手の面(南側)。

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橋台下部と上部の詳細。

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同じく、右手の面(北側)。下駄っ歯はありません。

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こちらは田川伊田側、下駄っ歯のある左手。

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同じく右手。ちなみに橋梁名称は橋桁のこちら側に書いてありました。

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以上、JR伊田架道橋でした。次回はこの付近からもう1件ご紹介します。


【脚注】
*1 現在の福岡県行橋市に本社を置いた鉄道会社。1889(明治22)年に創立し、95(同28)年に行橋~伊田間で開業。99(同32)には同線を川崎(現・豊前川崎)まで延伸したほか、福岡県と大分県で路線網を展開した。1901(同34)年に九州鉄道へ合併、のち国有化された。
*2 九州鉄道は1897(明治30)年に筑豊鉄道を合併し、伊田から直方を経て北九州の各港へと至る別の輸送ルートを確立していた。このルートは国有化後の1911(同44)年、直方~伊田間(現・平成筑豊鉄道 伊田線)の複線化により、ほぼ全区間が複線となっている。
*3 参考文献No.3によると、志岡川橋梁・勘久川橋梁・上伊田避溢架道橋・彦山川橋梁の4基(いずれも桁橋)で、切石積みによる下駄っ歯仕様の橋台が確認されている。

【参考文献・リンク】
1.『日本鉄道史』中篇 鉄道省/同/1921年(国立国会図書館デジタルコレクション
2.『田川市史』中巻 田川市史編纂委員会/田川市役所/1976年
3.「北九州地方の鉄道橋梁に見られるレンガ・石積みの構造的特徴に関する研究」小野田滋/1992年
 ※『土木史研究』第12号(J-STAGE
ALL-A > 鉄道 > JR・国鉄系の構造物 > 平成筑豊鉄道 田川線
豊州鉄道(Wikipedia)

【撮影年月】
 2016年2月

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