坑外施設(2)選別
この工程では、地上へ搬出・貯蔵されていた原炭を選炭場まで運び、不純物や粗悪炭などを取り除いて、高品位な石炭(精炭)に精製していました。このうち運搬にはベルトコンベアやバケットエレベーター*10 を、また選炭にも重液選別機*11 とテーブル*12 を導入するなど、早くから作業の大半を機械化していたことは特筆すべき点でしょう。しかし、そうした設備は閉山後にすべて撤去され、さらに最近になって鉄筋コンクリート造の主要な遺構(後述)が解体されたため、かつての面影を見出すのは困難な状況といえます。
【06】原炭ベルトコンベア (画面右下のボタンをクリックすると新規タブ/ウィンドウで閲覧できます。以下同じ)
原炭ポケット(前編04参照)の下部にはフィーダーという供給装置があり、そこからベルトコンベアによって原炭を選炭場まで運んでいました。コンベア自体は閉山後に撤去されたものの、支柱やその基礎と思われるRC造の遺構が点在しています。
【07】選炭機原炭ポケット(現存せず)
原炭ベルトコンベアの終点に位置する施設。上部にあった建屋と選別の初期工程を行う機械(インパクトスクリーン、ブラッドフォードブレーカー)は解体・撤去されていますが、貯炭槽(容量80トン)などRC造の部分が残り、丘の上に威容を誇っていました。しかし、2016年頃に突如として解体され、残念ながら現存しません。
様々な選別作業を経て得られた精炭を、次の輸送工程まで一時貯蔵していた精炭ポケットの遺構。貯炭槽(総容量600トン)は5つに分かれており、各槽下部にシュートが連なっていました。前述のポケットとともに選炭場を代表する遺構でしたが、同時期に解体されて現存しません。
選炭場に残る中小規模の遺構群。重液選別後の脱液洗浄をはじめ、水を使用する作業が多く行われていたためか、貯水・導水関係と思われる遺構が各所に見られます。そのうち一部は選炭機原炭ポケットと併せて解体されたものの、大半は引き続き存置されていました(2017年2月時点)。
最後に、ポケット2基の解体前後や操業当時との比較。ちなみに同鉱選炭場の初期の設備系統や、操業状況の推移などについては、参考文献No.1にて詳細に述べられています。
【脚注】
*10 鎖などに繋いだ多数の容器(バケット)を昇降させ、物体を垂直に運搬する装置。コンベアの一種。
*11 比重の大きな液体により、有用鉱物と不要物とを浮沈分離させて選別する機械。同鉱ではGA式コニカルドラム型中塊重選機(毎時50トン×1台)が1953年に導入され、閉山に至るまで使用された。
*12 凹凸の付いた傾斜板を揺動させ、水流または気流を加えて分離・選別する機械の総称。同鉱では水流を用いる薄流選別機のウィルフレーテーブル(毎時4トン×4台)が、粉炭の選別用に1953年に導入され、後に同5トン×4、同8トン×1の計5台に増設された。
【参考文献・リンク】
1.「麻生産業における重液選炭に就いて」松尾敏美
※『九州炭砿技術連盟会誌』1955年12月号(九州炭砿技術連盟)pp. 8-16
2.「松岩面積比15%以上介在する高田層本組炭層の採炭合理化の変遷について」麻生山田炭鉱採鉱課
※『九州炭砿技術連盟会誌』1967年6月号(九州炭砿技術連盟)pp. 2-6
3.『麻生ひゃくねん』麻生セメント/同/1973年
4.『麻生百年史』麻生百年史編纂委員会/麻生セメント/1975年
5.『ひさやま・20年のあゆみ:写真集』久山町役場総務課/久山町/1976年
◎JETRO > TTPPトップ > 特集コーナー > 廃棄物処理・再資源化(環境技術・調査報告書) > 2.4 分離・分別・選別
【撮影年月】
2013年3月、2014年2月、3月、2015年2月、2017年2月
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