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福岡市民会館  


福岡市民会館
福岡市中央区天神5丁目1-23/1963年/鉄筋コンクリート造+鉄骨造、地下1階・地上4階建
設計監理:村田大旗建築事務所 施工:大林組福岡支店

今回は福岡市民会館をご紹介します。天神5丁目の須崎公園に隣接し、大小2つのホール(各1770・354席)を有する文化施設で、1963(昭和38)年10月に竣工・開館しました。

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戦前の天神地区には各種文化施設が充実していましたが、戦災被害や占領軍による接収、事務施設への転用などにより、戦後は一転して貧弱な状況にありました。そこで、新たに総合的な文化センターを建設する構想が浮上し、県と市が一体となって計画に着手。1960年には市が公会堂(市民会館)を、県が図書館・美術館をそれぞれ担当し、須崎裏町の公園地帯に建設することを決定します。

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※グーグルマップより引用・加工

この場所は市営須崎裏グラウンドと県立女子専門学校の跡地で、43年に都市計画公園として一旦決定したものの、終戦直後にグラウンド跡を住宅用地へ変更し、空襲被災者向けの応急簡易住宅を建設していました。これを公園用地に再度変更すべく、入居者への移転交渉を行いますが、一部で立ち退きが難航。このため隣接する公有地を買収し、代替として市営住宅を整備することになります。

一方、建設省からは公園部分が狭いとして計画の再検討を求められたため、市民会館の予定地を北隣の日赤福岡支部跡へと変更。こうした紆余曲折を経て62年4月に着工し、一年半の歳月をかけて竣工します。その後、図書館・美術館の入る福岡県文化会館が64年11月に開館、また市営須崎裏住宅への移転は65年8月、須崎公園の整備は68年7月に完了し、ようやく文化センター事業が完成したのでした。

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その後、県文化会館(写真)は図書館移転に伴い1985年に県立美術館となり、須崎裏住宅は2014年に建て替えられて現在に至ります。市民会館はほぼ開館当時のままですが、市は老朽化のため23年度までに建て替える方針で、須崎公園内での代替施設の整備が検討されているとのこと。実現すれば市民会館と公園の位置が入れ替わる形になり、現在見られる風景は大きく変わることでしょう。



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さて、本題の市民会館の建物です。設計は広島市の村田大旗建築事務所で、村田正氏ら6名が意匠を担当。もともと公会堂・図書館・美術館を合わせた県主催のコンペに当選し、県と市の分担が決まった後、当選案をもとに市民会館の実施設計を行っています。

同事務所は戦後広島の復興を支える傍ら、58年に九州事務所を開設しており、戸畑市信用金庫本店(現・福岡ひびき信用金庫浅生支店、写真)や戸畑市民会館、八幡製鉄所病院など、現在の北九州市を中心に実績を重ねています。66年に(株)村田相互設計と大旗連合建築設計(株)とに分離し、現在に至っているようです。なお、構造は東大助教授の加藤勉氏が担当し、また施工は大林組が請け負っています。

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※画像クリックで拡大

平面は凧のような変形六角形。大ホールはワンスロープ形式で、NHK技術研究所の指導のもと設計されており、優良ホール100選にも選出されているそうです。また当初は3階に国際会議室があり、4か国語の同時通訳に対応するなど最先端の設備を誇りましたが、福岡国際会議場(2003年)などがオープンした影響からか、現在は廃止されて練習室に転用されています。

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外観を見ていきましょう。ファサードは窓が少なく寡黙な印象を受ける一方、外壁の傾斜やバルコニーの存在、鈍角に大きく開いた形状から、不思議と伸びやかさも感じられます。

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外壁は灰白色の有田焼タイル張り。当初は博多織の柄模様を入れる予定だったものの、“委員の部で批判されたので止めた” そうで、結局は僅かな凹凸と赤色ボーダーの挿入にとどまっています(参考文献No.1より)。余談ながら、佐藤武夫設計事務所が手掛けた県文化会館では、博多織をモチーフとした外壁デザインが採用されています(写真)。

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柱とバルコニーの欄干は打ち放し仕上げでしたが、1・2階の柱はテラゾーブロック貼り、欄干は吹き付けタイルで改装済みです。

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煙突とクーリングタワー(写真)。ちなみに中央奥は1964年完成の博多ポートタワーです。

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1階東側は大食堂の跡で、現在は(株)福岡市民ホールサービスが事務所として使用。

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バルコニーは小ホール入口付近を除いて立入禁止。途中にある階段の手すりは打ち放し仕上げのままでした。

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正面に戻って、大ホール入口周辺とチケットブース。なお、内部は未見です。

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西側の隅に定礎石。

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以下、外観を時計回りに。

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那の津通り「市民会館前」交差点より。

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背面は一転して重々しい雰囲気。

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那珂川対岸より。着工直前に建設地が変更された影響か、はたまた当時は水が汚れていたためか、川に背を向けた格好となっています。

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福岡市の計画案では、須崎公園内に代替施設を建設した後、跡地を「水辺に開かれた公園」として整備する方針です。この建物がいずれ無くなってしまうのは残念ですが、これまで以上に市民に親しまれる空間が生まれるよう願っています。

以上、福岡市民会館でした。





おまけ。今年の初めからチマチマ作っていた、戦後九州における公共ホール建築の一覧表です。一覧といっても全施設を網羅している訳ではなく、建築雑誌などで目に付いたものを抽出した程度ですが、参考までに掲載しておきます。1500~2000人規模では大分、長崎、八幡、佐世保と近年閉館が相次いでおり、残るは福岡市民会館と鹿児島県文化センター、そして熊本市民会館(現在復旧工事中)ぐらいでしょうか。

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▲福岡県立美術館(旧 福岡県文化会館/1964年/本館RC3、書庫SRC-1+8/設計佐藤武夫設計事務所/施工龍建設)

おまけその2。旧・福岡県文化会館は図書館移転時に全面改装されているものの、近年耐震改修も行われ、今後とも引き続き使用されるようです。だからという訳ではありませんが、あまりじっくりと建物を見たことがないので、簡単なデータだけ載せておきます。なお、次回は近隣にある別の建物を紹介する予定です。


【撮影年月】
 2015年5月、2016年12月

【参考文献】
1.『新建築』1963年12月号(新建築社)pp. 121-126
2.『近代建築』1964年2月号(近代建築社)pp. 95-108
3.『福岡市史』第8巻(昭和編 後編4)福岡市/同/1978年

【リンク】
福岡市民会館(公式HP)
村田相互設計 > 会社案内 > 沿革
大旗連合建築設計 > 会社概要
大林組 > 大林組八十年史 > 写真集(最近の十年)
佐藤総合計画 > 佐藤武夫ギャラリー > 作品集 > 福岡県文化会館
ALL-A > 団地・集合住宅 > 公営 > 須崎裏住宅
福岡市HP > 市政全般 > 主なプロジェクト > 福岡市拠点文化施設整備事業

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