門司電気通信レトロ館

NTT西日本 門司電気通信レトロ館(旧 逓信省門司郵便局電話課庁舎)
福岡県北九州市門司区浜町4-1/1924年/鉄筋コンクリート造3階建
設計:山田守(逓信省経理局営繕課) 施工:橋元組 or 橋本組
今回は門司電気通信レトロ館をご紹介します。北九州市の門司港レトロ地区にある、NTT西日本所有の電話設備や資料を保存・展示する博物館です。1924(大正13)年10月の竣工で、もともとは門司郵便局電話課の新局舎として建てられました。
この局舎新築は電話交換方式の改良に伴うもので、従来の磁石式に代わり、共電式の電話交換機が新たに導入されました。これらの新旧両方式の違いについて、『九州の電信電話百年史』の「福岡局で九州最初の共電改式」の項では、以下のように解説しています。
※『九州の電信電話百年史』243・244頁より引用電話交換の初期の方式は磁石式で、加入者電話機には個別に送話用の電池や信号発電機などが備えられるため、その費用が高く、また多数の宅内に分散しているため保守に多くの人手を要し、不経済であった。これらの不利を除くため、改良されたものが共電式で、加入者電話機には送話機・受話器・電鈴など通話と信号に必要な機器だけとし、送話電池や信号用電源は各加入者が共用する大容量のものを交換局内に設備した。これにより、取扱いの簡便、通話の明りょう、安定、取扱能率の向上、回線収容能力の増加など、磁石式に比べて画期的な改良がなされた。
竣工後も局舎内や各加入者への機器の設置が進められ、翌1925年3月末、共電式への切り替えと同時に新局舎での業務が始まりました。ちなみに門司で電話交換が開始されたのは長崎・福岡に次いで九州3番目、また共電式の電話交換機の導入は福岡に次ぐ2番目。当時の門司の繁栄ぶりや、拠点性の高さが窺えます。

戦後の電電公社時代になると、都市部以外でも自動交換方式(ダイヤル式)が普及し、各地の電話局で局舎の新築・改築が相次ぎます。門司では1957年に自動改式の実施、68年には局舎の増改築が行われており、この頃にメインの機能は北隣の棟(写真右奥)へと移っているようです。
年月日 | 事項 |
---|---|
1900 (M33) 10.08 | 赤間関電話交換局門司支局 電話交換業務開始(本町3丁目) |
1903 (M36) 04.01 | 同局と門司郵便電信局が合併し、門司郵便局が発足 |
1917 (T06) 02.16 | 電話課を設置 |
1924 (T13) 10.31 | 電話課分室局舎新築(門司市東本町4丁目) |
1925 (T14) 03.29 | 共電改式 |
1944 (S19) 12.15 | 門司電話局 開局 |
1953 (S28) 09.26 | 局舎増築 |
1957 (S32) 07.28 | 自動改式 |
1960 (S35) 07.01 | 門司電話局と門司電報局が合併し、門司電報電話局が発足 |
1989 (H01) 04.01 | NTT門司営業所に改称 |
1994 (H06) 12.03 | 門司電気通信レトロ館 開館(3階) |
1999 (H11) 01.31 | 門司営業所 窓口業務終了 |
3.11 | 門司電気通信レトロ館 1階に移転 |
施設の主な沿革は以上の通りで、民営化後も一時期はNTT門司営業所として使用されていました。99年に窓口業務を終了して営業所は閉鎖しますが、それに先立つ94年には門司港レトロ事業に合わせ、館内に「門司電気通信レトロ館」がオープン。以来、レトロ地区を代表する施設の一つとして現在に至っています。

設計は逓信省営繕課。同省はかつて郵便・電信・電話・灯台などの事業を管轄した官庁で、その営繕課は戦前日本を代表する設計組織でした。また実際の設計にあたっては、当時同課の若手技師だった山田守が担当しており、氏の手掛けた初期の作品とされています。
ちなみに施工者についてですが、『北九州の近代化遺産』巻末リストには “橋元組” とあるものの、ネット上には “橋本組” の表記が多く見られ、どちらが正しいのかよく分かりませんでした。


外観。建物の東側と南側が道路に面しており、この2面にわたって柱型・方立による列柱を巡らせ、玄関を1つずつ配しています。


鋭角の南東隅は緩やかなアールに仕上げられています。直線的な形状の列柱がかえって曲線を強調しており、何とも優美な印象です。


頂部のアーチ内側に見られる小さな穴は、当時の営繕課長・内田四郎が開発した流水防火装置(ドレンチャー)の放水口です。建物全体を流水で覆うことで延焼を防ぐ機能があり、戦時中の空襲時には実際に役立ったとのこと。


南側の玄関。大通りに面した東側は現在閉鎖され、こちらが正面玄関となっています。


玄関や頂部アーチ、そして列柱の断面形状など、この建物では台形状の直線的なデザインが多用されています。


その反面、1階腰壁には滑らかな曲面を描く窓台を載せたり…


背面の入隅部を円筒状に突出させたりと、曲線・曲面も随所に用いられています。こうした相対する要素が自然にまとめられている点が、この建物の持つ大きな魅力ではないでしょうか。


内部も少しだけ取り上げておきます。開館時間は9~17時、入館無料。詳細は記事末尾リンクより公式HPを参照ください。


訪問時(今年3月)は2・3階は改装工事中でした。


最後に、門司港レトロハイマート(1999年/設計黒川紀章、写真)31階の展望室より。

このようなモダンなデザインが大正後期に、それも大都市ではなく地方都市に出現していたとは、と一種の感動すら覚えずにはいられない建物です。逓信建築のレベルの高さを物語るとともに、かつての門司が持っていた先進性を今に伝えているのかもしれません。
以上、門司電気通信レトロ館(旧 門司郵便局電話課庁舎)でした。

▲下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館(旧 逓信省下関電信局電話課庁舎/山口県下関市田中町5-7/1924年/RC3/設計逓信省経理局営繕課/施工不詳)
おまけ。関門海峡の対岸にある山口県下関市にも、逓信省営繕課設計の局舎が現存し、こちらは市所有の展示施設として保存・活用されています。門司のスマートな局舎とは打って変わって独特な外観に思えますが、当時の逓信建築ではこちらの方が主流だったようで、九州初の共電式となった福岡郵便局電話課(福岡市東中洲/1923年/現存せず)でも、下関と同種のデザインが使用されていました。
なお、次回からは福岡・門司に続いて建てられた、九州の逓信建築を取り上げていきます。
【撮影年月】
2015年11月、2017年3月
【参考】
『九州の電信電話百年史』日本電信電話公社九州電気通信局/電気通信共済会九州支部/1971年
『北九州の近代化遺産』北九州地域史研究会/弦書房/2006年
◎NTT西日本 > 支店情報 > 北九州支店 > 門司電気通信レトロ館(公式HP)
◎建築マップ > 門司電気通信レトロ館
◎電報電話局(Wikipedia)
◎下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館(公式HP)
館内解説板
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