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2018/02/16 (Fri) 09:00

福岡ビル


福岡ビル(福岡ビルディング)
福岡市中央区天神1丁目11-17/1961年/鉄骨鉄筋コンクリート造、地下3階・地上10階建
設計:日建設計工務 設計顧問:内藤多仲、今井兼次 施工:間組福岡支店

いつの間にやら2月も半ばになりますが、2018年もよろしくお願いします。さて、今年最初にご紹介するのは、福岡市の中心・天神の一等地に建つ福岡ビル。大手私鉄・西日本鉄道により、同社の本社や銀行支店、商店街などの入る複合ビルとして計画され、1961(昭和36)年12月末に竣工しました。

延床面積は4万2456平米(当初)で、当時としてはもちろん半世紀以上が経過した現在も、なお市内有数の規模を誇るビルです。しかし近年、周辺一帯の高さ制限が緩和された*1 こともあり、西鉄はビルの建て替え方針を決定。隣接する商業施設(天神コア・天神ビブレ📄)との一体的な再開発が検討されています。

【追記】2019(平成31)年4月6日に閉館。西鉄本社は博多センタービル📄へ移転。

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設計者は日建設計工務(現 日建設計)。『建築年鑑』1963年版に “担当:岡橋,福永” との記載があるほか、内藤多仲氏や今井兼次氏も、顧問として設計に関与しているようです(記事末尾の補足を参照)。

施工者は間組(現 安藤ハザマ)。余談ながら同社は同年竣工の西鉄福岡駅の高架化や、隣接する天神コア・天神ビブレ(1976年)の工事も請け負っています。

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外観を見ていきましょう。敷地は市中心部を東西に貫く「明治通り」と、南北に走る「渡辺通り」が交わる天神交差点に面し、交差点側は隅切りがなされています。道路に面していない南側を除く三方の外壁に、2階から9階までカーテンウォールを採用。大きく取られた窓と金属製のスパンドレルの繰り返しにより、水平性や明るさが強調されています。

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やや後退している10階では、露出した躯体の柱を覆い隠すように、一定の間隔でルーバーが設置されています。あたかもファサードの外壁全体が、糸のように細い部材で吊り下げられているかのようで、ビルの規模に反して実に軽やかな印象を受けます。

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2、3階付近のみ外壁材が異なりますが、10年ぐらい前に改装されているようです。ちなみに同階には当初、西鉄と地元百貨店・岩田屋が出資するインテリアショップのNIC(ニック)があり、その閉店後は丸善書店を経て、現在はTSUTAYA 天神駅前福岡ビル店となっています。

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1階角には みずほ信託銀行福岡支店。前身の安田信託銀行が建設用地の一部を提供しており、ビル完成時に区分所有者として入居しています。なお『西日本鉄道百年史』によると、用地取得時には郵便局・福岡銀行との間で三角交換が行われたそうですが、この経緯についてはウィキペディアに出ているので、ここでは割愛します。

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明治通り側(北面)のエントランス。どうやらここが正面玄関のようで、向かって左脇には定礎や大店法の銘板があります。定礎は「西紀千九百六十一年」と少々珍しい表記。

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渡辺通り側(西面)と因幡町通り側(東面)のエントランス。ちなみに他には三菱UFJ信託銀行や各種商店、また地下1階に複数の飲食店が入居しています。

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東面から南面。

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イムズから見下ろした屋上。現在は見る影もありませんが、竣工当初はヘリポートを備えていました*2 。『間組百年史』によると、別府・雲仙といった近隣県の観光地への旅客輸送が想定されており、起工式の写真には「福岡観光ビル」なる名称も確認できます。つまりは交通機関としてヘリコプターを、またその発着拠点としてビル屋上を活用することが盛り込まれていた訳で、現代の感覚からすると少々突飛な計画にも思えます。

もっとも、前掲書では「ヘリポート設置によって当時の高さ制限の例外が認められた」とも述べられています*3 。ひょっとしたら真の狙いはこちらにあり、計画の実現性はそれほど重要ではなかったのかもしれません。『西鉄百年史』によると設置反対運動もあり、竣工翌年には早々に改装されたそうで、以来屋上はビアガーデンなどに利用されています。

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以下、その他の写真をいくつか。

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ある日の清掃?風景。

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最後に夜景。

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長らく天神のランドマークの一つとして、「福ビル」の愛称で親しまれてきた建物。どのような再開発となるかはまだ分かりませんが、より魅力的な空間に生まれ変わることを期待しつつ、今後の推移を陰ながら見守りたいと思います。

以上、福岡ビルでした。


(補足…内藤多仲、今井兼次両氏の関与について)

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▲天神ビル(福岡市中央区天神2丁目12-1/1960年/SRC-3+11/設計施工竹中工務店九州支店)

おまけ。天神交差点の対角には、福ビルの前年に竣工した天神ビルがあります。天神ビルは第4回BCS賞を受賞しているのですが、同回の選考委員の一人である伊藤鉱一氏(日建設計工務)が、以下のような選評を述べていました。

(前略)
ちょうどこのビルと対角線に位置する福岡ビルとはほぼ同じ頃に建設され、共に九州を代表するビルであり、種々の点で比較されるのであります。天神ビルの延面積は1万坪で福岡ビルは1万3千坪、高さは天神ビルが42メートルで福岡ビルが39.4メートル、また外装は天神ビルの栗色タイル張りに対して福岡ビルはアルミとステンレスというように対照的であります。共に内藤多仲博士・今井兼次先生が設計顧問をなさったのであります。福岡ビルは私の方で設計監理を致しました関係上、私は福岡へ度々行きましてその度ごとに天神ビル工事現場を見学しておりました。
(後略)

※『建築業協会賞作品集 第4回』より引用

この一節から福岡ビルについて、伊藤氏が設計監理を担当したことに加え、天神ビルと同じく内藤多仲氏と今井兼次氏が設計顧問を務めたことが読み取れます。両氏は戦前から戦後にかけて活躍した、著名な構造家・建築家です。引用文中にもある通り、両建築は同時代のビルディングとして好対照をなす存在ですが、こうした共通点もあったとは、少々意外な発見でした。


【脚注】
*1 福岡市が2014年に「グローバル創業・雇用創出特区」の指定を受けたことによる特例。同市中心部は空港に近く、航空法によって建築物の高さが制限されている。
*2 記事末尾リンクから、「にしてつWebミュージアム」のページを参照。
*3 計画当時の上限31メートルに対し、福岡ビルの高さは39.4メートル。なお、根拠法に例外規定があったため、同様に特例が認められたケースは少なくないと思われる。

【撮影年月】
 2012年1月、2013年11月、12月、2015年1月、5月、2016年2月、3月

【参考文献・リンク】
『建築年鑑』1963年版 建築年鑑編集会議/美術出版社/1963年
『建築業協会賞作品集 第4回』熊谷兼雄編/建築業協会/1963年
『作品集 '60 - '63』日建設計工務/1964年
『間組百年史:1945 - 1989 写真編』間組百年史編纂委員会/間組/1989年
『間組百年史:1945 - 1989』間組百年史編纂委員会/間組/1990年
『西日本鉄道百年史』西日本鉄道株式会社100年史編纂委員会/西日本鉄道株式会社/2008年
西鉄賃貸オフィス情報 > 賃貸物件一覧 > 福岡ビル
にしてつWebミュージアム > 福岡ビル竣工の頃
福岡ビル日本の超高層建築物 #百尺規制(Wikipedia)
福岡の交通 再開発ナビ > 福岡ビル街区再開発計画

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