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2018/04/07 (Sat) 09:00

浜玉市民センター


浜玉市民センター(旧 浜崎玉島町役場庁舎)
佐賀県唐津市浜玉町浜崎1445-1/1959年/鉄筋コンクリート造3階建
設計:光吉健次(九州大学光吉研究室) 施工:清水建設 備考:建て替え計画あり 現存せず

今回は浜玉市民センターをご紹介します。旧浜玉町の役場庁舎で、竣工は町史によると1959(昭和34)年12月。先月紹介した唐津市役所本庁舎相知市民センターと同様、老朽化などから解体の方針が決まっており、浜玉では近隣の公民館敷地への新築移転が検討されています。

【2022年8月追記】
 2021年5月に新築移転し、こちらの旧庁舎は解体されました。


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旧浜玉町は1956年、浜崎町と玉島村の合併によって「浜崎玉島町」として発足。66年の町名変更を経て、2005年に唐津市など1市5町1村と合併し、新生・唐津市の一部となりました。それに伴い、旧町役場は唐津市役所浜玉支所となり、2015年には支所から市民センターへ改称されて現在に至ります。

唐津市と福岡市を結ぶ国道202号線・JR筑肥線の沿線に位置し、福岡都市圏へのアクセスが良いことから、唐津市内の9地区(旧市町村域)では唯一人口が増加傾向にあるそうです。もっとも基本的には長閑な町で、虹の松原や鏡山といった景勝地を擁する、風光明媚な土地でもあります。

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庁舎は同町中心部、前回紹介したJR浜崎駅からは徒歩10分の距離に立地。九州大学の光吉健次氏による設計で、合理的ながら力強さも感じられる建物です。当初は1階にピロティ、敷地手前に広場が設けられ、これらは町民に密着した「コミュニケーション・スペース」と位置づけられていました。

建築空間はいくつかの単位空間と、それ以外の空間との対応で構成されている。事務所は事務空間、便所等の単位空間と、それ以外の廊下、ホール、階段等の空間との対応で構成される。前者の空間はそれぞれ個々の独自性を必要としており、また対応する空間に対し、そのプライバシーを要求する。この独自性をもつ単位空間と対応する空間をコミュニケーション・スペースと考える。(中略)即ち、単位空間の存在はそれ独自で存在するのではなく、コミュニケーション・スペースとの対応で存在する。(後略)

※光吉健次「建築について」(『建築』1968年4月号掲載)より引用

氏はこうしたコミュニケーション・スペースと単位空間の対応に主眼を置いていたようで、九州大学創立五十周年記念講堂(1967年竣工、写真)の広場・階段・ホワイエや、旧八女市中央公民館(68年、写真)の玄関ホールなど、他の作品でも同様の試みがなされています。

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現状ではピロティ・広場とも失われ、外壁やサッシの改修も行われていますが、バルコニーの手すりや1階隅の格子などに当初のデザインを見ることができます。

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内部は未見。土日だから開いていなかったのか、単に時間の都合で見送ったのか、2年前のことなので記憶が曖昧です。同じ日に訪れた相知市民センターでは、内部も見学させてもらっているのですが……。

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ちなみに訪問当時は知りませんでしたが、庁舎の移転先に予定されている浜玉公民館(1974年完成)と社会体育館(同76年)も、同じく光吉氏による設計で、同町では他に浜玉中学校(同68年、2015年解体)も手掛けています。

以上、浜玉市民センター(旧 浜玉町役場)でした。唐津シリーズは今回でひとまず終了とし、次回は他県から取り上げる予定です。


【撮影年月】
 2016年4月

【参考文献・リンク】
「光吉健次作品と方法 その2」 ※『建築』1968年4月号(中外出版)pp.75-90
『浜崎町史 下巻』浜崎町史編集委員会/佐賀県浜崎町教育委員会/1994年
唐津市HP > 浜玉市民センター(新庁舎建設)
浜玉町光吉健次(Wikipedia)

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