fc2ブログ
2018/05/03 (Thu) 09:00

宮崎県婦人会館


宮崎県婦人会館(ユースホステルサンフラワー宮崎)
宮崎市旭1丁目3-10/1965年/鉄筋コンクリート造3階建
設計:川島甲士建築設計研究所 監理:同左、宮崎県建築課 施工:熊谷組 

今回は宮崎県婦人会館をご紹介します。1965(昭和40)年の開館で、半世紀を超える長い歴史をもつ施設です。宮崎市中心部、県庁のすぐ近くに立地し、宮崎県地域婦人連絡協議会やユースホステル「サンフラワー宮崎」が入居するほか、貸会議室なども備えています。

外観は過去に何度か見ていましたが、昨年9月の宮崎旅行の際にユースホステルを利用し、念願叶って(?)館内まで見ることができました。風呂・トイレは共同ながら、非会員でも一泊素泊まり3600円(税抜)というリーズナブルな価格で、もちろん男女問わず宿泊可能です。

myzk-wh009.jpg

設計は川島甲士建築設計研究所。建築家の故・川島甲士(かわしま こうじ)氏*1 が設立した建築事務所で、代表作に同年竣工の津山文化センター(岡山県津山市)などがあります。ちなみに雑誌『建築』の記事によると、同所は宮崎県内で観光施設を中心に複数の建築を手掛けており、婦人会館以外にも数件が掲載されています*2 。それらの掲載作品はいずれも残っていないようですが、県内の現存作品を他に1件だけ確認しているので、その建物については後日改めて紹介する予定です。【追記】記事を作成しました⇒延岡総合庁舎📄

myzk-wh015.jpg

それでは本題に戻り、建物の外観から見ていきましょう。1・2階の開放感と、やや張り出した3階の重厚さが対照的な佇まい。少々頭でっかちながら端正で、どこか寡黙な印象も受けます。川島氏らが雑誌『新建築』などへ寄稿した解説によると、建物のモチーフは「埴輪」とのこと。

太陽と緑の国、神話の国と呼ばれる宮崎は、日本列島の南端に近く、南国の陽光にめぐまれ、数かずの日本のふるさとの伝承と、ロマンの舞台となっている。
このおおらかで、あたたかい環境と人柄によって育くまれた条件の中で計画されたこの建築を設計するに当り、われわれは古代人の<ゆめ>と<くらし>と<たたかい>の中より生れた造型、<はにわ>にその発想を求め、イメージを昇華しつつ、数多くのスケッチから、この造型に落着いたことも、今考えて見ると、ごく自然のことのように感ぜられる。

※『新建築』1966年2月号 211頁より引用

言われてみれば……という後付けの感想ですが、3階の袖壁辺りが何となく古代人の髪型(あるいは兜)に見えるような、そんな気もしてきます。いずれにしても単なる箱型にとどまらない、趣のある造形というのは確かだと思います。

myzk-wh008.jpg

myzk-wh019.jpg

見上げ。当初の仕様かどうかは分かりませんが、軒下はさりげなく赤色に塗られており、打ち放しの渋い外観の中で鮮やかに映えています。

myzk-wh018.jpg

myzk-wh017.jpg

myzk-wh020.jpg

myzk-wh006.jpg

1階には開館当初から食堂が入り、近年まで「レストラン椎の木」として営業していましたが、残念ながら昨年5月限りで閉店されたそうです。

レストラン椎の木:惜しまれつつ月末閉店(毎日新聞、有料記事)

myzk-wh004.jpg

側面(東側)。1・2階は開口部いっぱいに窓が取られていますが、側面では一部にスタッコ仕上げ?の外壁を設け、また3階には菱形の窓を配するなど、正面とは少し異なる表情を見せています。

myzk-wh002.jpg

myzk-wh022.jpg

側面(西側)のバルコニー。手すりはプレキャストコンクリートとのことですが、苔むしているので一見すると木材のようです。

myzk-wh023.jpg

myzk-wh013.jpg

背面には煙突と、それに巻き付く素敵な螺旋階段。宿泊した部屋(やまどり)の窓からちょうど見えました。

myzk-wh012.jpg

myzk-wh016.jpg

myzk-wh003.jpg

続いて、内部も少しばかり見ていきます。玄関は正面右手にあり、突き当りの壁は有田焼の四丁掛けタイル貼り仕上げ。

myzk-wh021.jpg

myzk-wh027.jpg

壁には「宮崎県社会教育会館」なる銘板も掲げられています。開館当初から社会教育機能を併設しており、婦人団体の活動のみならず「青少年のレクリエーションの拠点」として幅広い利用が想定されていたようです。また、かつては結婚式場も備えていましたが、時代の流れもあって現在は貸し事務所などに転用されています。

myzk-wh024.jpg

myzk-wh030.jpg

館内の階段。ここでも鮮やかな赤色が用いられています。

myzk-wh031.jpg

myzk-wh028.jpg

踊り場の打ち放し壁と、螺旋状に連なった照明器具。

myzk-wh029.jpg

myzk-wh032.jpg

2階会議室(ほうおう)。ユースホステル宿泊者の談話室としても使われています。図面によるとここは当初の披露宴会場で、写真を見る限り椅子はオリジナルのようです。

myzk-wh033.jpg

最後に、3階奥の宿泊スペース。扉の奥に和室が3つあるほか、これとは別に当初の会議室を改装した相部屋(ドミトリー)も備えています。

myzk-wh011.jpg

和室(やまどり)の様子。室内に打ち放しの柱が露出しており、ちょっぴり和モダン?な雰囲気でした。

myzk-wh014.jpg

myzk-wh025.jpg

街路樹や隣接する建物に遮られ、全体像をはっきり掴みづらいのは少々残念ですが、それがかえって神秘的に感じられるような、不思議な魅力をもつ建物でした。宮崎市を代表する戦後建築の一つとして、今後もできるだけ長く在り続けてほしいものです。

以上、宮崎県婦人会館でした。


【脚注】
*1 2009年死去、享年83。詳細は記事末尾リンクより、建築史家・倉方俊輔氏のブログ「建築浴のおすすめ」の記事を参照。
*2 他の作品は掲載順に、青島国民宿舎計画案(宮崎市/1972年竣工)、西都原レストハウス・御陵の茶屋(西都市/1970年)、西都原考古資料館(同/1968年)、平和台公園レストハウス(宮崎市/1966年)、日向美々津村休暇センター(日向市/1970年)。

【撮影年月】
 2016年4月、2017年9月

【参考文献・リンク】
「作品 宮崎県婦人会館」 ※『新建築』1966年2月号(新建築社)pp.207-213
「川島建築設計研究所の作品」 ※『建築』1971年3月号(中外出版)pp.93-114
宮崎県婦人会館 ユースホステルサンフラワー宮崎 > 会館概要(公式HP)
建築浴のおすすめ > 川島甲士氏が逝去、「津山文化センター」の原点

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント