JR九州バス鹿児島支店車庫

JR九州バス鹿児島支店車庫
鹿児島市柳町8-27/1947年以降?/鉄骨+コンクリートブロック造?
昨年の今頃に訪れた鹿児島市より、JR九州バス鹿児島支店の車庫をご紹介します。JR鹿児島駅の裏手にあるバス営業所の現役の車庫で、真新しいバス車両とは少々不釣り合いな、古色蒼然とした建物です。原名称や建築時期、構造などは確認できていません。
ただし『鹿児島市史』などによると、当支店はもともと国鉄バス鹿児島自動車営業所だったようです。同営業所は北薩線*1 の開設に伴って1947(昭和22)年に営業を開始したとのこと。国鉄が運輸省から分離・公社化されたのが49(同24)年なので、どちらの時代に建てられたのかは判別しかねますが……いずれにせよ既存建物の転用でもない限り、戦後間もない頃の建築には違いないと思われます。恐らく1940年代後半~50年代前半ぐらいではないでしょうか。
由来についてはさておき、建物を見ていきましょう。まず目に付くのは外壁。実際にはコンクリートブロック(CB)だと思われますが、一見すると石積み風で、組積造の重々しい妻壁が宙に浮かんでいるかのよう。ひょっとしたら後年出入口が拡張された結果なのかもしれませんが、何とも印象的な佇まいです。1対の大きな採光窓もチャーミングですね。
裏手に回ってみると、こちらは何となく閉鎖的な雰囲気(裏側だから当然か)。正面とは打って変わって重厚な印象で、これはこれでCB造らしい……と思いきや、よくよく見ると「これってCB造なのか?」という気がしてきます。
側面に控え壁のような造りが見られますが、軒との間に目を凝らすと、何やら鉄骨のようなものが覗いています。
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角の控え壁(仮)を見ると、CBというか役物タイルのような感じ。どうやら小屋組のみならず柱としても鉄骨が使用されているようで、その柱を巻いているものと思われます。
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もっとも、この役物タイル(仮)は控え壁(仮)以外には使われていないため、実は全部CB風のタイルでした、なんて訳でもなさそうです。となるとCBと鉄骨による混構造ということになるのでしょうか。
鉱滓煉瓦を思わせる質感。まぐさ用のものを含め、表面にはスクラッチタイルのような溝が走っています。
背面全景。写真左奥は鹿児島駅構内です。
敷地北側より。外から見られるのはこのぐらいで、正面は遠目に眺めるのみ、内部に至っては大柄なバスたちに遮られてほとんど窺えません。時間帯や天気によっては多少覗けるのかもしれませんが、できれば実際に足を踏み入れて、内部の大空間を体感してみたいものです。いつかこの建物もオープンしてくれないかなぁ……と淡い期待(というか願望)を抱いています。
ちなみについ最近知ったのですが、戦後期のCB造駅舎が岩手県にあるんだとか*2 。岩手県の鉄道駅舎と鹿児島県のバス車庫、遠く離れた両施設が「国鉄のCB建築」という点で結び付くのだとしたら、何とも興味深いですね。国鉄だけに全国各地で似たような事例があるんじゃないか、だとしたら他にもまだまだ残ってるんじゃないか……等々、想像が膨らみます。
以上、JR九州バス鹿児島支店車庫でした。
【脚注】
*1 鹿児島県北西部、旧薩摩国北部で営業する国鉄バス路線の総称。北薩本線は1947(昭和22)年3月15日の開業で、鹿児島駅を起点に宮之城(現 さつま町)を経て、出水・米ノ津港(いずれも現 出水市)に至る路線。起終点から宮之城へは鉄道路線(鹿児島本線+宮之城線、後者は1987年廃止)も存在したが、三角形の二辺を行くようなルートになるため、これら鉄路の短絡を図る目的もあったようだ。なお、宮之城~米ノ津港については後年廃止され、現在は鹿児島駅~宮之城などを結んでいる。
*2 JR釜石線の遠野駅にある、1950(昭和25)年築のCB造2階建て駅舎。老朽化による建て替えが決まった一方、保存を求める声も挙がっているとのこと。詳しくは記事末尾リンクより新聞記事を参照。
【撮影年月】
2017年11月
【参考文献・リンク】
「運輸省告示第49号」「同50号」官報1947年3月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
『鹿児島市史 第2巻』鹿児島市史編さん委員会/鹿児島市/1970年(鹿児島市HP)
◎国鉄バス資料室 > 北薩線・加治木線
◎国鉄バス、北薩線(Wikipedia)
◎揺れる遠野駅舎 解体・再建案に異論(朝日新聞デジタル)
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