長崎県立長崎図書館

長崎県立長崎図書館(休館中・解体予定)
長崎市立山1丁目1-51/1960年/鉄骨鉄筋コンクリート造3階建(4階増築)
設計:長崎県建築課 施工:清水建設 備考:2018年12月から休館中、19年秋頃から解体予定
今回は長崎県立長崎図書館をご紹介します。戦後、原爆からの復興を目指した「長崎国際文化センター」建設事業の一環として1960(昭和35)年6月15日に開館。児童閲覧室や講堂、食堂を併設した近代的な図書館で、長崎市における市立図書館としての機能も長らく担ってきました。しかし、2008年の長崎市立図書館の新設や、施設の老朽化・狭隘化を受け、県は図書館の新築移転を決定。移転先は県中央に位置する大村市で、市立図書館との合築「ミライon図書館」として来年11月末頃の開館を予定しています。
この移転に向けた準備のため、県立長崎図書館は先月11月末に休館。来年秋頃から建物の解体に着手し、跡地には郷土資料センター(県立図書館から分離新設)が建てられる予定です。なお休館中の措置として、来年1~9月に1階こども室で一部資料の閲覧サービスが再開されるとのこと。解体が始まるまで、もうしばらく使われ続けることになります。
ちなみに私が訪れたのは今年5月のこと。閉館前の記録という目的はしっかり果たしたものの、移転スケジュールの確認についてはうっかり忘れていて、多分まだまだ先だろうとてっきり思っていたところ、休館式を伝えるニュースにびっくり驚いたのでした。
※長崎新聞2018年11月27日(火)配信記事(「ありがとう、お疲れさま」県立長崎図書館休館)より引用建設中の長崎県立・大村市立一体型「ミライon図書館」(同市)への移転に向け、12月1日から休館する県立長崎図書館は26日、長崎市立山1丁目の同館で休館式を開いた。歴代館長、県議、関係者ら約40人が出席し、106年余りの歩みと文化の拠点としての役割を振り返った。(中略)
式で林田誠一館長は、同館の日常風景や「人生を変えた本と出合った」という高校生の声などを紹介。「(県立図書館は)原爆の惨禍から力強く立ち上がり、将来にわたっての平和を希求する長崎の象徴だった」と述べた。(中略)
ミライon図書館は、来年11月開館予定。現県立図書館は取り壊し、県立図書館郷土資料センター(仮称)を2021年度開館に向け整備する。
そんな訳で少々遅きに失した感もありますが……ともかく訪問時の写真をもとに、建物について書き留めておきます。

敷地は市役所から徒歩10分弱、中心部に程近い山裾に位置。周辺には博物館や公園、「長崎くんち」で知られる諏訪神社などが立地します。


建物は奥行きがあり、前方左手に児童閲覧室・講堂を張り出し、後方に書庫を連ねています。講堂部分は2階建て、本体は当初3階建て。1968年に4階(史料館、明治百年記念事業の一環)が増築され、現在の外観となりました。

ファサードは柱・軒を表し、いずれもコンクリート打ち放し(一部改修)。壁や3階・中4階の床レベルに煉瓦タイルを張り、開口部は窓を大きく取っています。ちなみに今でこそ煉瓦タイルが目を引きますが、4階増築前はコンクリートと腰壁パネルの白色が際立っており、現状とは少々異なる雰囲気だったようです*1 。

正面(南側)の1・2階は外壁を設けずにピロティ・ベランダとしています。どことなく長崎市内各地に残る明治期の洋館、例えば旧出島神学校(1878年、📷)や旧香港上海銀行長崎支店(1904年、📷)なんかを連想させる特徴です。
ちなみに、実際そういった建築をモチーフとした事例に長崎国際文化会館(1955年/設計佐藤武夫/現存せず)があります*2 。だからといって図書館も同じとは限らないのですが、一見平凡ながら実は「長崎らしさ」を備えたデザインだった、なんて考えると中々面白い話ではないでしょうか。

玄関。右脇にある記念碑には「長崎図書館の由来」が記されており、国際文化センター事業の概要や、国内外から支援を受けて建設されたことなどがつづられています。

※画像クリックで拡大

1階右端にはレストラン「いしだたみ」が入居。ちょうど正午を回った頃の訪問で、しばしお店の前で足が止まりましたが、行程の都合上やむなくスルー。この時立ち寄っておけばなあ……と今になって思います。ちなみに開館当初ここは視聴覚室で、食堂は屋上にあったとのことです。


ピロティ内部。打ち放しの柱とガラス・サッシとの対比が美しいですね。


床のタイルや照明器具もまた乙なものです。


館内の撮影は残念ながら許可を頂けませんでしたが、玄関ロビーや階段回りなど、当初の内装を比較的留めていたように記憶します。閲覧室は3階にあってあまり広くはないものの、大きな窓に面していて天井も高いため、かえって明るく開放的な印象を受けました。もちろん日光の問題とかバリアフリーなんかを考えると、最近の図書館と比べて見劣りする点もあるのでしょうが、良し悪しではなく個人の好き嫌いとしては、実に好感の持てる雰囲気だったといえます。

左手前の部分。2階に175席の講堂、1階には「こども室」があります。


脇には外階段があり、バルコニーとなって2階ロビーまで続いています。



左側面(西側)。こちらは中4階がなかったり梁があったりして、正面の外観とは若干趣を異にしています。


1階の一部には穴あきブロックを使用。平面図を見ると内側にトイレがあることから、当初は窓を覆う形で、採光と目隠しを兼ねていたのでしょう。


正面に戻り、続いて右側面(東側)へ。


正面の煉瓦タイルは鮮やかな紅色でしたが、右側面のそれはくすんだ朱色(いわゆる赤煉瓦に近い感じ)で、恐らくこちらがオリジナルだと思われます。ちなみに煉瓦造でベランダを採用した近代建築には、大浦天主堂に隣接する旧長崎大司教館(1915年)などがあります。



敷地奥はファサードとは打って変わり、白一色の平坦な外観に。


この辺りはほとんど書庫。窓の形からも分かるように、閲覧室のある3階のみ開架、あとは閉架となっています。ちなみに別棟の小さな書庫(写真右奥)は1995年の建設で、これについては今後解体せず、新設の郷土資料センターに活用されるとのことです。


一見地味ながらも意外と見所があり、また何となく内外ともに温もりの感じられる良い建物でした。休館のわずか半年前、ほんの1時間ほど見て回っただけの余所者ですが、58年間お疲れ様でした、と伝えたいです。

以上、長崎県立長崎図書館でした。

▲長崎市公会堂(長崎市魚の町4-30/1962年/SRC5/設計早稲田大学武基雄研究室/施工大長崎建設/2016年3月撮影、現存せず)
最後に、関連する建物を2件紹介します。冒頭で触れた「長崎国際文化センター」事業では、図書館の他にも水族館、プール、体育館、公会堂、美術博物館と計6施設が建てられました。プールを除く5つの建物のうち、図書館とともに最近まで市民に親しまれていたのが、こちらの長崎市公会堂です。
同市出身の建築家、武基雄(たけ もとお)氏の設計で、DOCOMOMO Japanの「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定されるなど、建築的に高い評価を受けていました。2015年3月末に閉館し、それに前後して保存運動も起こりましたが、残念ながら解体されて現存しません。なお、跡地には市役所の新庁舎が建設される予定です。

▲長崎総合科学大学附属高校(旧長崎水族館/長崎市宿町3-1/1959年/RC3/設計早稲田大学武基雄研究室/施工大長崎建設/2018年8月撮影)
一方、形を変えつつ残っているのが旧 長崎水族館です。今後図書館が解体されると、長崎国際文化センターで唯一の現存建築となります。設計は公会堂と同じく武基雄氏。余談ながら、平和公園にある平和の泉(1969年、📷)も氏が手掛けています。
水族館は98年3月末に閉館したものの、近隣にある長崎総合科学大学がこれを活用し、改修のうえ2002年に同大学シーサイドキャンパスを設置しました。14年には附属高校の校舎となり、現在に至っています。ちなみに今月30日に開幕する全国高校サッカー選手権に、同校のサッカー部が県代表として出場するとのこと。テレビで観られるかどうかは分かりませんが、陰ながら応援しています。
【脚注】
*1 増築前の写真は記事末尾リンクより、広報誌「いしだたみ」185号、または西日本新聞の記事を参照。
*2 『建築文化』1955年8月号。建物の写真は記事末尾リンクより、長崎都市遺産研究会のページ「長崎国際文化会館」を参照。
【撮影年月】
2018年5月
【参考文献・リンク】
「公共建築ニュース 長崎県の建築から」 ※『公共建築』3巻3号p.81 営繕協会/日刊建設通信社/1960年8月
『図書館建築図集』日本図書館協会/同/1964年
『長崎県立長崎図書館100年の歩み』長崎県立長崎図書館/同/2013年
『新長崎市史』第4巻(現代編) 長崎市史編さん委員会/長崎市/2013年
『いしだたみ:県立長崎図書館だより』第185号 長崎県立長崎図書館/同/2018年11月
◎長崎県立長崎図書館 > 広報誌「いしだたみ」(公式HP)
◎長崎県庁HP > 新県立図書館整備関係Q&A
◎県立長崎図書館が今月末で休館 関係者が惜しむ(朝日新聞デジタル)
◎「平和の象徴」県立図書館、解体へ 関係者から惜しむ声(西日本新聞)
◎長崎国際文化センター(Wikipedia)
◎長崎都市遺産研究会 > 長崎国際文化会館
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