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2019/02/17 (Sun) 09:00

雲仙スカイホテル

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雲仙スカイホテル(旧 ホテル芳仙館)
長崎県雲仙市小浜町雲仙323-1/1961年ほか/鉄筋コンクリート造5階建 
設計監理:増沢洵建築設計事務所 施工:大林組 

今回は雲仙スカイホテルをご紹介します。長崎県は島原半島の中部、雲仙岳の中腹に位置する雲仙(うんぜん)温泉のホテルです。もともとは「芳仙館」という木造旅館で、RC造のホテルとしては1961(昭和36)年に第1期が、67(同42)年に第2期が完成。ちなみにフロントの方のお話によると、70年代後半に経営が変わり、それに伴って現在の名称となったそうです。


ホテルは複数棟から構成されており、メインの5階建ての建物(以下、本館)のほか、旅館時代から残ると思われる木造3階建ての建物(同、別館)、それに平屋の大浴場が2棟あります。

本館の平面は長方形に近いT字型で、正面(北)の横に広い部分が2期、奥の部分が1期。なお雑誌『建築』に掲載された計画案によると当初は4階建てで、既存の木造旅館をすべて建て替え、最終的にL字型とする予定でした。一連の計画のうち1期の工程に関しては、以下のように具体的な記述が見られます。

(前略)すでに木造階3建〔ママ〕の温泉旅館があるが、これの一部分を取り壊して拡張し、増改築をおこなうことが、第1次計画として、現在実施されようとしている。(中略)既存の木造3階部分の東部分を取り壊わして南北軸の4階棟の過半分と、平家浴室棟の一部を増改築し、随時全体計画の完成に近づく方針を立てている。(後略)

※『建築』1960年9月号83頁より引用



1期については実際その通り竣工しているので、恐らく2期にあたって計画が変更されたのでしょう。既存旅館の西部分(=現在の別館)が存置される一方、その縮小分を補うためか本館2期は5階建てとなり、また1期部分も後年5階が増築されています。計画案と現状の主な相違点は以下の通りです。

計画案現状
平面L字型T字型
階数4階建5階建
2期外観庇型柱梁型
既存旅館解体撤去一部存置


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本館の設計者は1・2期ともに増沢洵建築設計事務所*1 。このうち1期は雑誌『新建築』に紹介されており、設計監理として増沢洵(ますざわ まこと)氏らの名前が記載されています*2

増沢氏は昭和戦後に活躍された建築家で、1947年に東大を卒業後、鹿島建設とレーモンド建築設計事務所を経て56年に独立。『現代日本建築家全集』(1972)の作品年譜を見ると、住宅や学校が目立つ一方で、ホテルは他に見当たりません。さらに九州地方での設計事例も多くなく、他には福岡市とその近郊の3件*3 のみ。そのうち有名な「クラブみつばち」は現存せず、また残り2件の現況はよく分かりませんでした。いずれにせよ当ホテルは、氏の独立初期の現存作品として貴重であり、また用途や立地から見ても希少な存在だと思われます。



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それでは本館1期から順に見ていきましょう。なお、私は訪問こそすれ宿泊はしていませんので、資料から得られた館内の情報を交えつつも、写真は外観のみとなります。

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ホテル西側より遠望。1期は柱梁を露出せず、薄い庇を巡らせた外観です。現在はサッシが交換されたり腰壁が追加されたりしていますが、当初はグレーペンの大きな窓だったとのこと。そういえば以前紹介した杉乃井ホテル📄(1959年)も窓を大きく取っていましたが、どことなく縁側をガラス戸で覆った木造旅館(イメージ📷)を思わせる特徴です。実際、当ホテルの客室はほとんどが広縁付きの和室だそうで、伝統的な旅館のスタイルを踏襲していたことが窺えます。

等間隔に設置された橙色の穴空きブロック(シャモットホローブロック)は、室内に付属するバスルームの目隠しと採光を兼ねたもの。ちなみに写真右手の折板屋根は大浴場「絹笠の湯」のもので、こちらも1期に竣工しています。

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島鉄バス雲仙営業所📷付近より、東面全景。通りに面した北東2面については、外壁から庇、ブロックに至るまでピンクベージュ(?)一色に塗装されています。

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南東隅、窓の配置が異なる部分は階段室。竣工当初は塔屋が載っていましたが、5階の増築に伴い撤去されています。

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居室・浴室の配置が立面から見て取れます。客室間の袖壁は一義的には防火目的と思われますが、先述の計画案によると “客室相互間および客室と他の部分との防音に注意した” とのこと。

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続いて本館2期。東側の一室は腰回りまでガラス窓となっています。隣接する1期部分との調和を図ったものと思われますが、1期が改装された今となっては、この区画が当初の外観の雰囲気を最もよく留めています。

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北面。こちらは柱梁を外部に露出させるなど、計画案や1期(の原型)の繊細な外観とは打って変わって骨太な印象です。もっとも、これは室内に柱型を出さないための工夫でもあると思われるので、居住性の面ではこちらに分があるものと想像します。

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柱・梁型に加え、大きく突き出した軒庇も目を引きます。

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エントランスにも大きな庇。1階に大広間(120畳)がある関係で、上階よりも天井が随分と高く取られています。フロントでお話を伺った折にロビーだけ見学しましたが、大きな窓から柔らかな反射光が入り、開放的ながらも落ち着いた雰囲気の空間でした。

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こちらのホローブロックは外壁と柱の間に設置。ちなみに敷地手前、別館とを隔てる塀にも同じブロックが使われていました。

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それから増沢氏らの関与はまず無さそうですが、別館についても取り上げておきます。こちらも現役の建物で、本館ロビーに面して売店が入るほか、敷地奥の大浴場ともつながっており、全体で中庭を囲んだ口の字型の平面を構成しています。

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北面全景。外観はホテルの建設に伴って大分改装されていると思われますが、かつての偉容は想像に難くないですね。

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本館2期の西面には梁が突き出しており、さらなる増築を想定していたことが窺えます。実際に3期が計画されていたのか、2期縮小にあたっての暫定措置なのかは分かりません。もっとも、この状態のまま現在に至ったおかげで、ホテルとかつての旅館が並び立つ姿を今なお見ることができます。こういった新旧の対比というか、時代の移ろいが一目で分かる光景というのも、中々貴重なものではないでしょうか。

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屋根・庇はえんじ色の瓦葺き。ちなみに本館も同系色の勾配屋根が追加されていますが、近隣のホテルに店舗に住宅まで、そこらじゅう似た色の屋根だらけでした(写真📷)。確か景観保護のための条例があるとかなんとか、雲仙観光ホテル📷をモデルにどうたらこうたら……みたいな話をどこかで目にしたと思うのですが、ググっても見つからないので記憶違いかもしれません(ごめんなさい)。

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余談ながらこの建物の存在を知ったのは、“H旅館” として紹介されていた古い『新建築』の記事。グーグルマップで探したところ現存しているらしいと分かったものの、その後2年ほど記憶の隅に追いやられていました。しかし昨年秋、島原半島への旅行を計画中に思い出し、行程に組み込むことに。下調べ中に『現代日本建築家全集』から名称が “芳仙館” だと分かり、そして同書の参考文献から『建築』の記事に行き着いたのでした。

そんな訳で満を持して訪れたのですが、お目当ての一つだったランチ営業はあいにく休業日。フロントの方のご厚意でロビー付近を見学させていただいたものの、ランチついでに堂々と内部を見て回れないものか……という目論見は、あえなく外れてしまいました。

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お客さんが出払っている昼下がりということで、外観は狙い通り気兼ねなく撮影できましたが、内部については悔いの残る結果となりました。ちなみに雲仙では他にも下調べ不足のせいで大きな見落としがあったため、いずれにしても再訪の必要がありそうです。今度こそは客として訪れて、館内各所を闊歩してみたいものですね。

以上、雲仙スカイホテル(旧 ホテル芳仙館)でした。


【脚注】
*1 現在の(株)増沢建築設計事務所。『現代日本建築家全集』の増沢洵略歴によると、1963年に株式会社化に伴い改称したようだ。従って厳密には、2期の設計時点では増沢建築設計事務所(=“洵”が付かない)ということになる。
*2 他に淀川潤三、千葉確次、田島孟、斎藤敬子ら所員各氏。構造は高橋清一氏。
*3 クラブみつばち(福岡市/1959年竣工/RC-1+2)、東京堂(同市/同年/RC-1+4)、山崎製パン福岡工場(福岡県/1969年/S1、2)の3件。1件目は西中洲にあったクラブで、建築雑誌でも紹介されているが、2001年に閉店し現存しない。2件目は詳細不明。3件目は古賀市(旧糟屋郡古賀町)にある同社工場と思われ、守衛室など特徴ある建築も見られるが、竣工当初の施設かどうかは確証なし。

【撮影年月】
 2018年11月

【参考文献・リンク】
「建築に対する覚えがき」増沢洵 ※『建築』1960年9月創刊号(槇書店)pp.51-52
「計画案その3:雲仙・H旅館」淀川潤三 ※同号 pp.82-83
「H旅館」 ※『新建築』1962年8月号(新建築社)pp.117-121
『現代日本建築家全集』13巻(生田勉・天野太郎・増沢洵) 栗田勇/三一書房/1972年
雲仙スカイホテル(公式HP)
雲仙温泉観光協会 > 雲仙修学旅行 > お宿詳細PDF(フロアマップあり)
増沢建築設計事務所 > MAA概要(設計者HP)
増沢洵(Wikipedia)
大阪府立市岡高等学校同窓会 > 12期修学旅行(1959.3.26) 雲仙 旅館 芳仙館(旅館時代の写真あり)

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