博多センタービル

博多センタービル(旧 平和農産工業博多平和ビル)
福岡市博多区博多駅前3丁目5-7/1975年/鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階・地上13階建
設計:草野建築事務所? 施工:竹中工務店
今回は博多センタービルをご紹介します。福岡市の玄関口・JR博多駅から南西へ徒歩10分弱、住吉通り沿いの交差点角に建つオフィスビルです。竣工は1975(昭和50)年と比較的古いビルですが、築後40年超が経過した昨年夏、一件のニュースによって大きく注目されました。
※西日本新聞2018年7月24日(火)朝刊記事(西鉄本社が博多駅前に移転 来年3月、建て替え受け)より引用福岡市の再開発事業「天神ビッグバン」に伴い、福岡市・天神の福岡ビルなどの建て替え計画を進める西日本鉄道(福岡市)は、同ビルにある本社を2019年3月末に、同市博多区博多駅前3丁目の大型オフィスビルへ移転する方針を固めたことが分かった。
移転先は地上13階、地下2階建ての博多センタービル。西鉄はテナントとして入居し、全ての本社機能を移す。センタービルは耐震補強工事のためテナントの退去を進めており、約700人が働く本社オフィスを一括で収容できるスペースを確保できることから、移転先に決めたとみられる。再開発後、本社を元の場所に戻すかは未定。
(後略)
昨年当ブログでも紹介した福岡ビル📄の再開発に伴い、これまで同ビルに入っていた西日本鉄道の本社が、こちらの博多センタービルに移転するというのです。なお、先月の同社発表によると、明日3月11日(月)から月末にかけて順次機能を移転させ、4月1日(月)から正式に当ビルで営業を開始するとのこと。
ちなみに南西面(写真左手)の道路「こくてつ通り」は、博多駅が1963年に現在地へ移転した後、旧博多駅付近の線路跡に整備されたもの。また山陽新幹線が博多まで延伸開業したのは、ビルの完成と同じ1975年のこと。つまりこのビルは、博多駅の移転をきっかけに誕生し、駅周辺の発展とともに歩んできた存在だといえます。
一方の西鉄はといえば、同社のターミナル・西鉄福岡(天神)駅を拠点に、天神の発展に長らく寄与してきた存在。お膝元での再開発「天神ビッグバン」に伴う措置とはいえ、まさか本社機能が天神から博多まで吹き飛び、しかも博多の発展を象徴するビルに収まることになるとは……ビッグバン恐るべし?ですね。
冗句は程々にして本題に戻ります。3年前に『竹中工務店九十年史』を読んでいたところ、巻末資料25「主要な建築物(国内工事)」の昭和50年の欄に次のような記載がありました。
※『竹中工務店九十年史:1899-1989』424頁より引用。記載事項は左から工事名・建築地・設計者。平和農産工業博多平和ビル(博多センタービル) 福岡市 草野事務所
この一節から当ビルの施工を竹中工務店が請け負ったことに加え、施工時点の名称が “平和農産工業博多平和ビル” であり、また設計は “草野事務所” が手掛けたことが読み取れます。

建築主と思われる平和農産工業でググってみると……同社は東京都中央区に本社を置き、姉ヶ崎カントリー倶楽部(千葉県市原市/1960・S35開場)など2か所のゴルフ場を運営。さらに姉妹コースとして、グループ企業の運営するセブンミリオンカントリークラブ(福岡市早良区/1974・S49開場)があります。同クラブのHPによると、コースを設計したのは菅浦一氏。氏は姉ヶ崎CCの創業者だそうで、恐らく同社グループを率いられた方だと推察します。
◎ご利用案内|セブンミリオンカントリークラブ(公式HP)
◎ゴルフ会員権情報 | 姉ヶ崎カントリー倶楽部(桜ゴルフ)
一方、博多センタービルの玄関脇には「定礎 菅 浦一 昭和四拾九年参月吉日」とあり、氏のお名前がしっかりと刻まれています(ちなみに“菅”の字📷は草書体の一種のようです)。これらを勘案すると博多平和ビル(現 博多センタービル)は、同社が福岡へ進出するにあたり、ゴルフ場事業と並行して建設した自社ビルだったのではないでしょうか。
なお、同社は唯一の支店を福岡に構えていますが、その所在地は当ビルではなく、徒歩5分弱の距離にある立体駐車場「博多平和駐車場」の1階。これまた想像の域を出ませんが、ビルの名称が変わったことと関係があるのかもしれません。

それから設計者ですが、前掲書の資料末尾の注釈によると、設計者名は紙幅の都合上略記されているとのこと*1 。従って正式名称は分からないものの、恐らく草野建築事務所ではないかと思います。同事務所については記事の最後に少しばかり補足します。

それでは先月(2019年2月)と昨年末に撮影した近況から見ていきましょう。建物は3階までの低層部と、4~13階の高層部から構成され、後者が大きくセットバックした形となっています。余談ながら、これと似た事例に旧日本不動産銀行本店ビル*2 があるのですが、同ビルに関する雑誌記事によると、こうしたスタイルは斜線制限といった法規上の制約が影響しているようです(よく分からん)。
※嶋冨士夫「4例による比較分析」(『建築文化』1968年1月号掲載)より引用。(前略)
いつも問題になる斜線制限については、特に実際のいろいろな計画の中で、高さや配置の決定要因として非常に大きな比率をしめている。(中略)
建物のブロックプランも目立った類型はDICビルや不動産銀行などの断面図に見られるように、ほぼ敷地いっぱいに2層~3層の低層部をめぐらし、その上にスレンダーな高層部、低層部よりはやや小さい地下部分というのがだいたい多いようだ。これは特に、容積を多く与えられている場合、厳しい斜線の中でなんとか有効空地率をかせぐ方法でもあり、不動産銀行に見られるように、会議室や銀行営業室などの大スパンを要する空間を高層部の下からはずすという意味もある。
(後略)

低層部。以前1階にはコンビニやネットカフェがありましたが、完成当時には広島銀行福岡支店が入居していました(現在は別のビルへ移転)。恐らくは吹抜けを有する営業室があったと思われ、そうだとするとこの辺りの特徴も前述の不銀本店と似ている気がします。


正面玄関(住吉通り側)。1階は歩道に面してピロティを設けています。


再び通りの対岸より。高層部は南東・北西の2面に庇を突き出しており、彫りの深い外観を形成してます。


低層部は交差点角の隅切りが特徴。それから特筆すべきは腰壁パネルで、ビルの佇まいを個性的かつ印象深いものにしています。日差しを受けてギラギラして見えますが、材質は何でしょうか(鋳物?)。

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南西面。よく見ると柱が確認できるものの、暗色系のパネルを貼っていること、そして前述した腰壁の存在により、水平基調のファサードとなっています。


窓の内側に覗く市松状の構造物は、昨年から行われていた耐震改修工事に伴い設置されたもの。耐震補強というと鉄骨の筋交い(ブレース)がまず思い浮かびますが、ブレースよりも随分とお洒落な印象を受けます。もちろん見栄えの良さだけでなく、外壁や窓を一旦取り外さずに設置できるといったメリットもあるのでしょう。なお、今回の耐震改修は竹中工務店の設計施工とのことで、恐らく同社の開発した「耐震市松」という工法だと思われます。
◎耐震性と美観を両立させた「耐震市松」の技術評定を取得(竹中工務店HP)


北西面から こくてつ通りを望む。ちなみに突き当り奥の木立ちは住吉神社の境内(裏手)、道向かいの建物はホテル法華クラブ福岡(1970・S45/設計事務所ゲンプラン/写真📷)です。

ついでに、改修以前の写真もざっと載せておきます。これらはちょうど2年ほど前。







最後は5年近く前の写真ですが、玄関回り等々。EVホールには温かみのある陶製タイルが用いられていました。

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地階には食堂街があり、駅に近い1階東隅に出入口がありました。改修中はすべてのテナントが出払っていたようですが、今後はどう扱われるのでしょう。


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一見して目に留まるほどの派手さには欠けるものの、力強くも落ち着きのある、実にカッコいいビルだと思います。天神の再開発が完成した後はどうなるのか分かりませんが、ともかく偉大な先輩である福ビルの遺志(?)を継ぎ、新たな西鉄本社として頑張ってほしいですね。
以上、博多センタービルでした。
(補足)草野建築事務所について

最後に、設計者の草野建築事務所について。補足といっても詳しくは分からないのですが……草野勝次氏が所長を務められた建築設計事務所であることは、同氏が『近代建築』1964年4月号に寄稿された記事で確認できます。ちなみに同号は「九州の建築家とそのデザイン」と題した特集号なので、事務所の拠点が九州にあったことも間違いなさそうです。それから確認できた作品をリストアップしておきますが、ほんの数件とはいえすべて福岡・大分両県に立地しており、いずれかの県に拠点があったのではと思います。
No. | 名称(現名称) | 建築時期 | 所在地 | 現存 |
---|---|---|---|---|
1 | ホテル白雲山荘 | 1963・S38 | 大分県別府市 | ✕ |
2 | 別府ニューグランドホテル(城島高原ホテル) | 1965・S40 | 同上 | ◯ |
3 | ホテル児玉(やまなみの湯) | 1968・S43 | 同上 | ◯ |
4 | 苅田町役場庁舎 | 1971・S46 | 福岡県苅田町 | ◯ |
5 | 平和農産工業博多平和ビル(博多センタービル) | 1975・S50 | 福岡市 | ◯ |
6 | ホテル山陽館(ひなの里山陽館) | 1978・S53 | 大分県日田市 | ◯ |
7 | 日本道路公団九州自動車道筑紫野職員合宿所 | 同上 | 福岡県筑紫野市 | ✕ |
※出典は [1]『近代建築』1964年4月号、[2] [3] 同誌1968年7月号、[4]『建築と社会』1971年11月号、[5]『竹中工務店九十年史:1899-1989』、[6] (株)大分シャッターHP、[7]『礎:作品集』。なお [1] ~ [3] の建築時期については、原典に記載が無いため、記事末尾に挙げたサイトを参照した。 |
こうして見ると、確認できた範囲では意外と多くの作品が現存しています。ただ、私が訪れたのは博多センタービルのみ。いずれも中々(あるいはかなり)カッコいい建物ですし、比較的近場に位置しているので、なるべく早めに見ておきたいものです。
【脚注】
*1 同書439頁の注釈5より。以下に抜粋・引用する。
*2 のち日本債券信用銀行→あおぞら銀行本店(東京都千代田区/1967・S42/三菱地所/現存せず)。2000年代前半に解体され、跡地は北の丸スクエアとなった。在りし日の写真は記事末尾リンクより「千代田遺産」の当該ページを参照。設計者名については、スペースの都合により、正称を次のように略記させて頂いたことをおことわりしたい。/「○○建築設計事務所」「○○建築事務所」「○○設計事務所」「○○一級建築士事務所」「○○総合計画事務所」などはすべて「○○事務所」と略記する/(後略)
【撮影年月】
2014年7月、2017年2月、2018年12月、2019年2月
【参考文献・リンク】
「地方建築家の養成を」草野勝次 ※『近代建築』1964年4月号(近代建築社)p.46
「4例による比較分析」嶋冨士夫 ※『建築文化』1968年1月号(彰国社)pp.134-138
『礎:作品集』龍建設/同/出版年不明
『竹中工務店九十年史 : 1899-1989』竹中工務店九十年史編纂プロジェクトチーム/竹中工務店/1989年
◎西日本鉄道 > ニュースリリース > 西鉄本社事務所の移転に関するお知らせ(PDF)(公式HP)
◎平和農産工業株式会社(公式HP)
◎千代田遺産 > 北の丸スクエア
◎廃墟伝説 > 白雲山荘(作品No.1)
◎城島高原 > 会社概要(公式HP、作品No.2)
◎ホテルラベル > 大分のタグラベル(作品No.1-3)
◎大分シャッター > 工事経歴④(設備施工会社HP、作品No.6)
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