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2020/07/29 (Wed) 09:00

みずほ銀、店舗統合 久留米など対象



 久々の更新。みずほ銀行が近く店舗網の再編に踏み切るようなので、本格化する前に取り上げておきます。現時点で予定されている対象店舗は、いずれも他の店舗内に移転する店舗内店舗(ブランチ・イン・ブランチ)方式を採用。九州・山口では、福岡県内と山口県下関市の計4か店が該当します。

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※画像クリックで拡大


 同行ホームページに掲載された今年度の店舗移転のうち、店舗内店舗方式による24件を表にまとめました*1 。このうち2件は先月に実施済みですが、ほとんどは年度後半に予定されており、特に10、11月は19件が集中しています。ちなみに昨年度の同方式による移転は12件で、18年度はゼロ。他方、店舗の廃止は17年度を最後に行われていません。
 店舗内店舗方式ならば書類上は廃止されないため、HP上では単なる建替えのケースと併せて「店舗移転」として案内されています。ただ、今年11月に予定される池袋西口支店の移転に関し、同行広報室はネットメディアの取材に対して“ほかの支店と統合する目的” だと回答しています*2 。他の金融機関では同方式を「店舗統合」として扱う場合が少なくないことも踏まえると、今回の再編は事実上の店舗統合だといえるでしょう。
 なお、みずほFGは17年度中間期決算の発表に際し、24年度末までに国内100拠点を削減する構造改革計画を公表しています。さらに昨年には130拠点に上積みし、うち100拠点は21年度末までに削減するとしました*3 。ただし、ここでいう「拠点」は信託・証券を含めたグループ全体の店舗。昨年6月のIR資料では削減目標全体(130拠点)のうち、統廃合を90、銀・信・証の共同店舗化を40とする内訳が示されています*4
 したがって、みずほ銀行による今回の店舗内店舗方式による統合は、みずほFGによる拠点削減の一環だと考えられます。そして信託・証券における削減の大半は、恐らく共同店舗化によるものと思われるので、銀行店舗の統合が今後ますます加速するのではないでしょうか。

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 前置きが長くなりましたが、本題は福岡県と下関における店舗統合です。このエリアには現在7か店が存在しています。そのうち対象となるのは久留米・八幡の2支店と、門司・下関の2出張所。移転先は福岡支店(天神)と北九州支店(小倉)で、当該地域は天神と小倉の2か所に集約されることになります*5 。これらをマイマップで整理したのが上図。ちなみにマップ自体を埋め込むつもりでしたが、共有しようとするとエラーが発生するので(困)、スクショで代用した次第です。
 個人的には、出張所2つは母店がもともと北九州支店であり、また八幡支店も同じ市内に位置することから、拠点削減の波に抗えないのも仕方ないかなぁと思います。しかし久留米支店については、まさか統合されるとは思いませんでした。
 久留米市は人口30万余りを擁し、ブリヂストンをはじめ有力企業も立地する県内第3の都市。いくら西鉄や新幹線で1時間程度とはいえ、移転先の福岡支店とは直線距離で30キロ余り離れています。もっとも、都市の規模や支店間の距離でいうと、前掲表の豊田・岡崎(いずれも名古屋へ移転)も同程度かそれ以上です。今後はこのクラスの支店でも生き残るのは厳しい、ということでしょうか。
 ちなみに久留米市は現時点で、みずほに加えて三菱UFJ・三井住友・りそなの各行も支店を構えています。政令指定都市でも県庁所在市でもない地方都市で、大手4行が揃い踏みする事例はそうそう無いでしょう。そんな珍しい状況も、あと2か月余りで終わりを迎えます。

久留米支店八幡支店門司出張所下関出張所(みずほ銀行HP)

 上記は統合対象4か店の現時点での店舗情報。少し引っかかるのが、各店の移転案内(PDF)に“現店舗の跡地にみずほATMコーナーを設置する予定です” と記されている点です。“跡地” という表現から察するに、建物を解体して更地にした上で、広い駐車場付きのATMコーナーを設置する方針なのでは……などと考えてしまいます。
 そんな訳で、この機会に各店舗について書き留めたいと思います。その前に銀行自体の歴史をざっくりと振り返っておくと、前身は第一勧業・富士・日本興業の3行。さらに第一勧業の前身は第一・日本勧業の2行で、富士は旧安田財閥系でしたね。それらを踏まえた上で、営業店(組織)の沿革と営業所(建物)の特徴を見ていきましょう。凡例は以下の通り。

現在の名称(旧名称)
①所在地 ②当該建物での営業が開始された年 ③構造と階数 ④設計者 ⑤施工者 ⑥撮影年月 ⑦移転予定日・移転先

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みずほ銀行久留米支店(旧 第一銀行久留米支店)
①福岡県久留米市日吉町5-51 ②1926・T15 ③SRC2 ④西村好時 ⑤清水組 ⑥2016年4月撮影 ⑦2020年10月12日(月)に福岡支店へ移転

 まずは組織の沿革から。第一銀行によって1919(大正8)年に開設され、26(同15)年5月19日に現店舗へ新築移転*6 。43(昭和18)年に三井銀行と合併して帝国銀行、48(同23)年には分離して再び第一銀行に。71(同46)年に日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行、そして2002(平成14)年からみずほ銀行となりました。ちなみに移転先の福岡支店📷(1975・S50)は組織は一勧、建物は興銀から引き継いでいます。
 次に建物について。竣工は移転前月で、設計者は西村好時*7 。氏は清水組の技師を経て第一銀行に入り、同行の店舗を数多く手掛けた建築家です。竣工当初の外観はドリス式。4本の列柱の上にメダリオンを配し、さらにコーニスを巡らせていました。それらの装飾は戦後の改装で失われたものの、内部は回廊付きの吹抜け空間が残っているようです*8
 九州における現役の銀行建築としては、長崎銀行本店📷(旧長崎無尽/1924・T13)と福岡銀行飯塚本町支店📷(旧十七銀行飯塚支店/同年)に次ぐ長い歴史を誇っていました。戦災前の久留米の街並みを今に伝える存在としても、近隣の旧十七銀行久留米支店📷(1927・S2)とともに残ってほしいのですが……。

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みずほ銀行八幡支店(旧 富士銀行八幡支店)
①福岡県北九州市八幡東区中央3丁目1-1 ②1950・S25(1963・S38増改) ③RC3? ④⑤未確認(竹中工務店) ⑥2015年12月撮影 ⑦2020年10月12日(月)に北九州支店へ移転

 八幡支店は大阪の百三十銀行が1904(明治37)年、若松支店の出張所として開設。06(同39)年に支店昇格・新築移転、15(大正)4年に現在の旧百三十銀行ギャラリー📷を新築して移転し、23(同12)年に合併で安田銀行に。そして40(昭和15)年に新築移転した後、戦災による仮営業と48(同23)年の富士銀行への改称を経て、50(同25)年に5代目となる現店舗へと新築移転しました*9 。2002年のみずほ銀行発足に前後して一時出張所となったようですが、08(平成20)年に支店へ再昇格しています*10 。なお、移転先の北九州支店📷(1975・S50)も八幡と同じく、組織・建物ともに富士から継承しています。
 建物は63(昭和38)年、竹中工務店九州支店の設計施工による増改築が実施されています*11 。1階前面はガラス張り、2階は無窓タイル壁。タイル貼りの大きな塊が浮かんでいるかのような、中々モダンなデザインだと思います。ちなみに50(同25)年に竣工したのは向かって右半分(東側)で、柱型で垂直性を強調した、やや古典的なファサードだったようです*12

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みずほ銀行北九州支店門司出張所(旧 富士銀行門司支店)
①福岡県北九州市門司区栄町2-2 ②1961・S36 ③RC3? ④⑤未確認 ⑥2015年4月 ⑦2020年11月9日(月)に北九州支店へ移転

 安田系で神戸に本店を置く日本商業銀行が1896(明治29年)に開設。1905(同38)年に百三十銀行支店を譲り受けて移転、23(大正12)年に合併で安田銀行に。戦災や富士銀行への改称を経て49(昭和24)年に新築復帰し、さらに61(同36)年に現店舗を新築しています*13 。なお、出張所への降格時期は不詳ですが、2002年のみずほ銀行発足時かその直前のようです。
 通りに面して柱型を並べ、石張り風に目地を切った、いかにも戦後の銀行建築といった感じの外観です。古典的な様式を踏襲しているようでいて、柱が奇数(柱間は偶数)だったり、窓を高く大きく取っていたりと、動的で伸びやかな印象を受けます。設計者が気になりますし、店内にも入ってみたいですが、叶いますかね。

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みずほ銀行北九州支店下関出張所(旧 第一銀行下関支店?)
①山口県下関市細江町1丁目2-5 ②未確認 ③RC2 ④⑤未確認 ⑥2017年3月 ⑦2020年10月19日(月)に北九州支店へ移転

 最後は下関出張所ですが……情けないことに、来歴をきちんと調べ切れていません。というか、第一銀行の行史をチェックしたのがかなり前のことなので、単に見落としただけかもしれません。ちなみに営業所一覧が掲載されている『第一銀行史』下巻の刊行は1958年。外観から建築時期を想像すると、たぶんギリギリ載っているような気もしますが、どうでしょう。いずれ調べ直して追記できればと思います。

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 やや尻すぼみの感があるものの以上、みずほ銀行20年度の店舗統合でした。昨今の金融機関に関するニュースを眺めていると、数年前の自分が「今のうちに銀行建築を記録しておこう」と思い立ったのは、我ながら良い判断だったと自賛したくなります。反面、せっかく先回りして入力に動いたにもかかわらず、出力の段階で追い越されつつあるのが現状です。せめて周回遅れにはならないよう、各行が店舗統合を発表する度に、こちらも対象店舗を紹介して対抗できたらと思います(目標)。


【脚注】
*1 店舗統合・移転のお知らせ🔗(みずほ銀行HP)より作成。最終閲覧2020年7月28日。
*2 池袋にあるみずほ銀行、移転後の支店名と立地に困惑の声 「素人に厳しい…」🔗(ニュースサイトしらべぇ)2ページ目より。
*3 5ヵ年経営計画🔗(みずほFGホームページ)より、ページ末尾の「参考:抜本的構造改革の定量イメージ」を参照。
*4 「Mizuho IR Day 2019」(PDF🔗)7頁より。
*5 残り1か店(福岡法人支店)は、以前から福岡支店と同じ建物で営業。
*6 『第一銀行史』下巻 附録91頁。
*7 『銀行建築』14頁。
*8 空襲乗り越え 産業を支え みずほ銀久留米支店開業100年🔗(西日本新聞)より。
*9 ここまで『富士銀行百年史』別巻243頁より。
*10 支店への変更のお知らせ🔗(みずほ銀行HP)より。
*11 実施年と内容は『富士銀行百年史』別巻243頁、設計者は『近代建築』1964年4月号136頁より。
*12 『富士銀行八十年史』現況110頁の掲載写真より推測。
*13 『富士銀行百年史』別巻241頁より。

【参考文献】
『銀行建築』西村好時/日刊土木建築資料新聞社/1933年
『第一銀行史』下巻 第一銀行/第一銀行八十年史編纂室/1958年
『富士銀行八十年史』富士銀行八十年史編纂委員/富士銀行/1960年
「富士銀行八幡支店」 ※『近代建築』1964年4月号(近代建築社)136、137頁
『富士銀行百年史』別巻 富士銀行調査部百年史編さん室/富士銀行/1982年

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コメント

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みずほ銀行も店舗統合が続く

東京の北多摩地方の話になりますが、東久留米支店の移転の話がまだ来ていないが、今後は「ひばりヶ丘支店」か「池袋支店」への移転が心配されていると思います。
地元の多摩六都では東久留米の事を「久留米」と行っており、福岡の「久留米」の存在はカルチャーショックで有ると思います。
ちなみにりそな銀行発足時に東久留米市滝山地区に所在する旧埼玉銀行の「東久留米支店」と福岡県久留米市久留米地域に所在する旧大和銀行の「久留米支店」がございまして、前者は後者と区別するために「東久留米滝山支店」に改名しています。

Re: みずほ銀行も店舗統合が続く

佐々木様

コメントありがとうございます。
関東の地理には疎いのですが、福岡の久留米つながりで東久留米市は聞いたことがあります。北海道の北広島市のような縁ではなく、それぞれに「くるめ」という地名があり、たまたま市町村名として被ってしまったようですね。
よくある旧国名ではなく方角で区別したのは「武蔵久留米市」だと少々煩雑だからでしょうか。しかし「りそな銀行東久留米滝山支店」というのも、中々書くのが大変そうです。

みずほ銀行はまだまだ店舗統合が続いていますね。ご指摘の 支店の位置関係を調べてみましたが、池袋支店までは電車で30分以上は要するでしょうか。仮に統合されるとなると不便な距離に思えます。
もっとも、都市部はもともと店舗数が多いだけに、人員削減の煽りを受けやすそうです。公式発表はまだないとはいえ、不安は否めませんね。