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2021/12/30 (Thu) 09:00

雑記(2021年の杳々)



 あっという間に2021年もあと少し。前途洋々、意気揚々なんて日々は訪れなかったものの、先の長い暗がりを進むことにも多少慣れてきた一年でした。利用制限などの影響で図書館へ行く機会が減少する一方、その反動もあってか古書を少々軽率にポチるようになるなど、幸か不幸か着々と順応しつつある気がします。
 他方、今年も時機を見計らいつつ九州各地へ足を運んだため、相変わらずネタの消費どころか整理すらままならない状況でした。未来ばかりか過去まで真っ暗では甚だ覚束ない、という訳で例年のごとく備忘録をしたためたいと思います。


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▲旧 坂瀬川炭鉱の精炭ポケットと思われる遺構(熊本県天草郡苓北町)

 2月中旬。のっけから九州とは思い難い光景ですが、ずっと気になっていた天草炭田の炭鉱跡を巡ってきました。苓州(天草の別名)の北西に位置する苓北町を起点に南下する行程を組んだものの、本渡瀬戸に差し掛かったところで対岸の街は雪景色。そして山間部にある坂瀬川炭鉱跡付近に至っては一面の銀世界でした。同炭鉱の輸送体系は架空索道とトラック。このポケットでトラックに積み替え、港まで運んでいたものと思われます。
 付近には炭鉱住宅の跡地がありますが、生産施設はさらに山中を上っていった場所。かつての道は途切れてしまっているうえ、積雪で足下の状況すら分からないため、ハイキングは断念して引き返しました。

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▲旧 大岳炭鉱の原炭ポケットと思われる遺構(同上)

 続いて訪れた大岳炭鉱(大嶽炭鉱)跡もこの有様。写真の遺構は道路沿いにあるので見やすいはず……と思いきや、前出の炭鉱跡より標高が高いせいか路面がシャーベット状になっており、ペーペーかつペーパードライバーの自分は生きた心地がしませんでした。
 このとき既に16時前。気温は下がるし、雪は強まるし、辺りは暗くなる一方じゃないか!?ということで、この日の探索はやむなく打ち切りました。九州人なので「九州=南国」なる幻想は端から持っていませんが、まさか天草でこんなに雪に降られるとは夢にも思わず。数年前から温めた計画が急速に冷めていくのを感じながら、一路宿へと向かいました。

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▲旧 今富炭鉱堀ノ迫坑の桟橋と思われる遺構(熊本県天草市)

 宿の温泉で身も心も温まった2日目。すっかり天気も快復して青空の下、天草炭田の南部地区(牛深方面)を訪れました。写真は堀ノ迫坑跡の近く。同坑は中部地区に拠点のあった今富炭鉱が数年間だけ操業していたようですが、他にもコンクリート壁で封鎖された坑口跡📷や、巻上機台座と思しき遺構も見られます。
 もっとも、この日は時間の都合で切り上げざるを得ず、他の遺構や近隣の炭鉱跡は全然回れませんでした。後ろ髪を引かれながら……というか本当に引っかからないよう藪を掻い潜りながらスロープを駆け下り、くっつき虫の掃除もそこそこに牛深港へ移動。フェリーに乗って鹿児島県の長島へと渡り、そこから陸路で九州本土へ帰りました。

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▲旧 国民宿舎水天荘(熊本県水俣市/1965・S40/村田大旗建築事務所)

 またまた温泉宿で温まった3日目。旧 国民宿舎水天荘の現存を確認してきました。閉館して久しいそうで敷地は立入禁止となっているものの、正門ゲートの手前から遠目に見学することができます。設計者は以前福岡市民会館📄で紹介した村田大旗建築事務所(創設者:村田正氏&大旗正二氏)。建物そのもののカッコよさは勿論、ロケーションも素晴らしいだけに、この現状は何とも勿体なく感じられます。
 2泊3日の行程で不知火海をぐるっと一周した訳ですが、天草炭田は2日(実質1日?)では全く足りませんでした。必ずや再訪したいと思います。


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▲旧 東海大学阿蘇キャンパス1号館(熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽5435/1973・S48/山田守建築事務所)

 2月下旬。1泊2日で阿蘇・くじゅう地域のモダニズム建築を巡ってきました。旧 東海大学阿蘇キャンパス1号館は創設者没後の山田守建築事務所による設計。生前の氏が手掛けた同大学の作品群と同様、美しい曲線でまとめられたY字平面の校舎でした。しかし2016年、熊本地震で被災。Y字の中央部と翼部×3を切り離したうえで、震災遺構の一つとして保存・公開されています(熊本地震震災ミュージアム🔗)。

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▲旧 福岡大学やまなみ荘(大分県玖珠郡九重町田野230/1965・S40/志賀設計)

 2日目は熊本・大分両県に跨る高原地帯へ。旧 福岡大学やまなみ荘は、同大学の施設を多く手掛けた志賀設計(創設者:志賀信男氏)によるモダンで美しい保養所でした。一般の観光客にも親しまれていたそうですが、残念なことに源泉の不調のため、2020年3月限りで閉館。ご厚意により外観だけ見学させていただきました(ありがとうございます)。

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▲貫見神社(大分県日田市大山町西大山/1960年代後半/総合計画設計事務所)

 ついでと言うには遠いですが、日田市大山町まで足を延ばしました。お目当ては貫見神社。「蜂の巣城紛争」でも知られる下筌・松原ダムの建設に伴い、水没予定地から遷座(移転)した神社です。
 設計者は総合計画設計事務所。同事務所を創設した下田隆一氏らは、ダムの事業主体である旧建設省九州地方建設局の出身です。ダム建設と一体的に整備されたことが窺えると同時に、一見すると神社とは思えないモダン具合にも頷けます。


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▲湯前町役場庁舎(熊本県球磨郡湯前町1989-1/1970・S45?/設計者未確認)

 3月上旬、熊本県南部の球磨地域に行ってきました。湯前(ゆのまえ)町役場は定礎に“昭和四十五年三月三十一日” とあるので、恐らく1970(昭和45)年の完成。遠目には60年代ぐらいの典型的な庁舎建築に見えますが……正面に開いたコの字型の平面で、手前(写真奥)にポーチを配し、中庭の四隅をアール状に仕上げるなど、小規模ながらも個性的で面白い建物です。

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▲三賢堂(熊本市西区島崎5-32-27/1936・S11/設計者未確認)

 別の日には、熊本市内で未訪だった建物をいくつか回りました。市西部にある三賢堂📷は、熊本出身で逓信大臣などを務めた政治家・安達謙蔵が建立した、郷土ゆかりの3名の賢人(菊池武時・加藤清正・細川重賢)を祀るお堂です。内部見学可と聞いて申し込んだところ、希望する日時にカギを開けておくとのことで、独り気ままに見学してきました(その節はありがとうございました)。
 外観は中国の天壇を思わせる一方、どことなくアダムスキー型のUFOのような不思議な雰囲気も。内部の螺旋階段もモダンな印象で、これまたユニークな建物ですね。

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▲旧 山鹿簡易保険保養センター(熊本県山鹿市/1967・S42/山田守建築事務所)

 これまた別の日には、熊本県内を南へ北へ。未訪物件を転々と押さえ、最後に訪れたのは旧 かんぽの宿山鹿です。竣工は山田守の没した翌年で、在りし日の旧 熊本逓信病院📷を思わせる塔屋など、氏の残り香が感じられます。
 近年売却されて民間のホテルとなっていましたが、2018年に「施設メンテナンスのため」として長期休館に。訪問時点では残っていた公式ホームページも現在は閲覧できなくなっており、どうやら閉業してしまったようです。


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▲旧 NHK佐世保放送会館(長崎県佐世保市/1968・S43/創和建築設計事務所)

 3月中旬は佐世保&長崎へ。佐世保は約4年ぶりの再訪で、ほぼ未見だった市街地北部を回ってきました。旧 NHK佐世保放送会館はかつて佐世保放送局が置かれた建物です。支局への機能縮小に伴う移転後、長らく市の施設として活用されていましたが、2015年に閉館。周辺一帯では市による再整備事業が進められており、遠からず解体されるものと思われます。
 設計者は横浜の創和建築設計事務所。長崎国際文化センター事業の一角をなす長崎県立美術博物館(1965・S40/現存せず)も手掛けており、長崎と何かしらの縁があったようです。

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▲長崎ダイヤモンドスタッフ本社(長崎市淵町2-25/建築年・設計者未確認)

 長崎は昨年11月以来、半年足らずの再訪。市立図書館で調べ物を進めつつ、青空に釣られて建物を撮り歩きました。長崎ダイヤモンドスタッフは人材派遣などを営む企業で、会社沿革🔗によると2002年から現在地に本社を構えているようです。
 その本社屋はというと、1960~70年代の完成と思われる一見して只者ではない建物。恐らく中小企業共同福祉センター(1971・S46開館)ではないかと当りを付けていますが……設計・施工はおろか建築主すら特定できておらず、正直手詰まり感が否めません。

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▲旧 三菱銀行長崎支店(長崎市浜町8-39/1952・S27/設計者未確認)

 日没後、浜の町アーケードに面した旧 三菱銀行長崎支店の現況確認へ。最近まで現役の店舗でしたが、行名が「三菱UFJ銀行」に変わった直後の2019年、近隣の旧三菱UFJ信託銀行(福岡支店へ統合・廃止)に移転して空屋となりました。十八銀行のFFG入りに伴う店舗統合📄ばかりに気を取られていましたが、また一つ戦後の銀行建築が風前の灯となっています。


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▲旧 柳川市民会館(福岡県柳川市坂本町29-2/1971・S46/設計者未確認)

 3月下旬は福岡県南部の筑後地域、旧三潴郡エリアへ。気になっていたモダニズム建築を数件回りました。旧 柳川市民会館は代替施設の完成に伴って昨年11月に閉館しており、最初で最後の見学です。コンクリートに鉄とガラスを添えた、粗々しくも美しい建物。閉館前に訪問できなかったことが非常に悔やまれますが、こうして外観を拝めただけでも良しとすべきでしょうか。


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▲王子製紙日南工場 新星寮(宮崎県日南市中央通2-6-8/建築年・設計者未確認)

 4月中旬には約2年ぶりに日南へ。建替えの進む市役所旧庁舎はすっかり更地になっていたものの、近くにある王子製紙日南工場 新星寮は健在でした。外階段の存在感はさることながら、窓の間の袖壁は前傾、庇を兼ねた腰壁は後傾と、交互に傾斜をつけた外壁が面白い建物です。


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▲旧 八幡セントラルビル(福岡県北九州市八幡東区中央2丁目15-1/1963・S38/岡田・的場設計事務所)

 5月上旬。解体工事が始まった旧 八幡セントラルビル(西中央公団住宅+八幡丸物百貨店)の見納めをすべく、北九州へ飛んできました。同ビルは過去に2度訪れていましたが、そういや山の手から俯瞰で撮ったことがないな、ということで再訪した次第です。写真も揃ったし記事にするか……と書き始めたものの、丸物について少々気になることがあり、目下調査中。来年こそ紹介できればと思います。

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▲旧 大谷会館(福岡県北九州市八幡東区大谷1-2-4/1927・S2/八幡製鉄所)

 俯瞰写真を撮りに行く道中、旧 大谷会館に寄り道。こちらも再訪ですが、前回は曇天だったのでついつい足が止まった次第です。コロナ禍の煽りを受けて今年3月末に閉館しており、今後どうなるんだろう……と案じていたところ、後日あっけなく解体。まさかこちらも見納めになるとは思いもよりませんでした。


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▲三井化学J工場(福岡県大牟田市浅牟田町30/1938・S13/三井鉱山三池製作所?)

 7月下旬、既報の通り三井化学J工場📄の見納めへ行ってきました。せっかく工場の見えるホテルを予約したのに図書館での調べ物が長引いてしまい、チェックインしたのは18時半を過ぎてから。日中は晴れていた空に薄雲が広がり、日没も刻々と迫る中、19時前後に数分間だけ夕陽が射し込んでくれました。
 これまた取り壊されるにはあまりにも惜しい建物ですが、満足できる程度には写真に収めたり資料を漁ったりできたこと、そして解体直前ながら記事で取り上げられたことは、ひとまず良かったのかなと思います。

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▲荒尾市民体育館(熊本県荒尾市荒尾4051/1965・S40/西島建築設計事務所)

 ついでに隣町へ足を延ばし、訪れたのは荒尾市民体育館。屋根は正面・背面のみならず側面から見ても弧を描いており、ヴォールトではなくドームと思われます。利用中ということもあって内部の見学は叶いませんでしたが、ググってみた感じではダイヤモンドトラスっぽい架構のようです。
 設計者は福岡の西島建築設計事務所(創設者:西島俊雄氏?)。1923年創立という長い歴史を誇る事務所で、2019年には公式ホームページ🔗が開設されました。沿革や過去の作品について今後紹介してくれないかなあ……と密かに期待しています。


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▲川崎工業団地(旧 日本テキサス・インスツルメンツ日出工場/大分県速見郡日出町大字川崎/1973・S48/Richard S. Colley, Architect+安藤建設)

 9月中旬には大分県中部でモダニズム建築巡り。日出町にある川崎工業団地はアメリカの大手半導体メーカー、テキサス・インスツルメンツの日本法人により建設された旧半導体工場です。2013年の撤退後に町が取得し、工業団地として活用しています。
 コロナ禍や経済安全保障の観点から半導体供給網の再構築が叫ばれる中、台湾の大手メーカーが熊本県への進出を決めた2021年。かつて九州が「シリコンアイランド」と呼ばれた時代に思いを馳せ、こうして建物が残っていることに感動を覚えずにはいられませんでした。折しも築後50年は目前に迫っています。産業遺産として高く評価される日も、そう遠くないはずです。

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▲城島高原ホテル(旧 別府ニューグランドホテル/大分県別府市城島高原123/1965・S40/草野建築事務所)

 宿泊した城島高原ホテルは、すっかりハマっている草野建築事務所(創設者:草野勝次氏)の作品。平面は伸びやかなY字型、断面は将棋の駒のような山型で、並々ならぬスケールと存在感を誇ります。同事務所については以前博多センタービル📄の記事で取り上げましたが、その後も色々と調べ続けており、いずれ改めて紹介するつもりです。

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▲別府市立少年自然の家おじか(大分県別府市別府4374-1/1979・S54/辻隆司建築設計事務所)

 翌日に向かったのは少年自然の家おじか。老朽化やコロナ禍の影響により、昨年秋から休館しています。設計者は湯布院公民館📄で紹介した辻隆司建築設計事務所で、この他にも現存作品を2件見てきました。いずれも外連味のない、すっきりとしたモダンな建物という印象。今後とも調べてみようと思います。


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▲西都市役所旧本庁舎(宮崎県西都市聖陵町2-1/1964・S39/内藤建築事務所)

 9月下旬。約2年半ぶりに西都を再訪しました。西都市役所旧本庁舎は今年7月、隣に完成した新庁舎に役目を譲ったばかり。かつての前庭📷は更地になっていたものの、建物本体はまだ姿を留めていました。設計者は京都の内藤建築事務所(創設者:内藤資忠氏)。宮崎・鹿児島両県をはじめ九州各地で手掛けた作品群については、いずれ何らかの形で紹介したいですね。


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▲京都大学火山研究センター本館(熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陽5280/1928・S3/京都帝国大学)

 10月中旬。京都大学火山研究センター本館📷の観覧会のため、またまた阿蘇を訪れました。今夏に開催された際は行けなかったものの、有難いことに追加開催の機会にあずかり、喜び勇んで参加した次第です。
 建物内部を初めて見られたことは勿論ですが……地震前の2014年に訪れた時(⇒記事📄)のこと、そして熊本地震からの復旧過程に思いを致すと、色々と感慨深いものがありました。参加して本当に良かったです(ありがとうございます)。

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▲旧 阿蘇観光ホテル本館(熊本県阿蘇郡南阿蘇村/1965・S40/大林組)

 観覧会の後、2月は時間が足りずに断念した旧 阿蘇観光ホテルへ。敷地周辺は立入禁止となっているため、目星をつけていた場所からの遠望です。ひょっとしたら第一別館(1964・S39/野中建築事務所)も残っていないかと期待したものの、遠目に見る限りそちらは現存しないようでした。
 2000年に廃業した後は長らく廃墟となっていましたが、かねてより地熱発電所の建設計画が進められ、来る2022年11月に発電開始予定とのこと。廃業に伴って温泉地としての性格は既に失われているうえ、建物自体の活用が望める状態ではないことと、心◯スポット呼ばわりされて踏み荒らされてきたことを思うと、喜ばしい話だと感じます。

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▲NTT西日本 桜町ビル(旧 電電公社九州電気通信局/熊本市中央区桜町3-1/1971・S46/電電公社)

 それから熊本県立図書館での調べ物に加えて市内をブラブラ。その道中で衝撃を受けたのが、見慣れていたはずのNTT熊本支店桜町ビル📄です。再開発に伴い支店は移転済みで、今年3月の時点ではビルの一部がシートに覆われており、一見いよいよ解体かという状況でした。
 ところが、約半年ぶりに通りかかったところ建物は健在。シートは取り払われ、コンクリートの素地が露わになっていました。素人の想像ですが、アスベストの関係で外装のボンタイルから剥がしているのでしょうか。それにしても、まさか令和の世になってブルータルな電電建築が新たに出現するとは……。


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▲黒木開発センター(福岡県八女市黒木町桑原212/1972・S47?/設計者未確認)

 11月中旬には、筑後地域の旧八女郡エリアを巡りました。これまた衝撃的だったのが黒木開発センター。下調べ中、読みたい資料の一部が市立図書館の本館ではなく黒木分館に所蔵されていると知り、どんな所だろう?とストビューで確認したのがすべての始まりでした。
 これが山あいの町の長閑な河畔に建つ、図書館や公民館の入る公共施設だというのですから、全くもって建築巡りは楽しみが尽きませんね。設計者などは今後調べたいと思います。


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▲旧 北川町中央公民館(宮崎県延岡市北川町川内名7150/1962・S37/日高是一建築事務所)

 そして12月中旬、延岡から豊後大野&竹田へ行ってきました。その道中で立ち寄った旧 北川町中央公民館。公民館機能は2013年に総合支所(旧町役場)庁舎内へ移転済みで、現在は空屋となっているようです。
 設計者は宮崎の日高是一建築事務所。数年前にその名を知ったものの、現存作品は今年ようやく2件を確認した程度で、まだまだ調べ足りません。

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▲大分県信用組合竹田支店長湯出張所(旧 長湯支店/大分県竹田市直入町長湯7982-2/1961・S36/設計者未確認)

 野を越え山を越えて、旧直入町の長湯温泉へ。お目当ては温泉ではなく大分県信用組合長湯出張所です。初めて存在を知った頃はまだ支店でしたが、2017年に竹田支店へ統合・廃止され、出張所(店外ATM)となっています。
 半ば空屋のような状態とはいえ、看板建築スタイルの木造店舗が現役という希少な事例だと思います。そして何より、小ぶりながらも金融機関らしい佇まいが素敵なのです。

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▲大分県農業協同組合清川支店(大分県豊後大野市清川町六種355/建築年・設計者未確認)

 帰り際に訪れたJAおおいた清川支店は一風変わってレトロな建物。恐らく昭和初期に建てられたもので、時代的に農協ではなく地元の産業組合の事務所でしょうか。
 玄関の張り紙を見て初めて知りましたが、惜しいことに今年8月に近隣支店へ統合・廃止されたとのこと。建物の前にあるバス停の名前はどうするんだろう……と、余計な心配までしてしまいます。


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▲宮崎県庁5号館(旧 宮崎農工銀行/宮崎市橘通東1-9-18/1926・T15/佐伯組)

 最後に、12月某日の宮崎県庁5号館。背後にそびえる防災庁舎の建設に伴い、曳家による移設を経て昨年再開館しました。併せて復原改修工事が実施されており、かつて銀行営業室だった吹抜空間も見事に甦っています。開館時間は平日8時半~17時15分、内部も一部見学可。
 移設前(写真📷)は少々狭い通りに面していましたが、現在は北向きながら引きが取れるようになりました。さらに日没後はライトアップが実施されており、冬の夕方には室内の照明と合わさった一層美しい姿を拝めます(閉館前後が狙い目かな?)。移設保存を決断した宮崎県をはじめ、関係者の方々には敬服するばかりです。



 という訳で、2021年最後の記事でした。今年の更新状況を振り返ってみると……記事の総数は今回を含めて僅か6件。カテゴリ別に見ると「福岡市の建築」が1件、「福岡市以外の建築」が計4件(福岡が2件、熊本・大分が各1件)、そして雑記の「その他」が1件でした。このうち福岡県の2件は同じ建物の前編後編なので、計5件だった昨年の状況と実質的に変わらないですね。
 「ブログの更新は滞っているかもしれないが、建築への関心は止まるところを知らないぞ!」という、聞かれてもいない言い訳のような年末雑記も定番になりました。本当はもっと多くの建物を紹介できれば良いのですが、既にモラトリアム期間も満了してしまった以上、現状維持でも御の字かもしれません。
 何はともあれ、今年も拙ブログをご覧くださりありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。

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コメント

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お疲れさまです

「雑記」と言いつつ、いつものことながら実に濃い内容ですね。勉強になります。長崎ダイヤモンドスタッフは大分県医師会館(磯崎新、1960)のオマージュではないかという印象を受けましたが、さて。

Re: お疲れさまです

タケ様

コメントありがとうございます。
長崎ダイヤモンドスタッフ、私も同じことを考えていました(笑)。情報を掴めず悶々としていますが、こうした建物が現役で利用されているのは素直に嬉しいですね。

こちらこそ、いつも勉強させていただいています。西中央公団住宅について本文では書きそびれましたが、見納めのきっかけはタケさんのツイートですし、そもそも建物自体もサイトかブログの記事を拝見して存在を知ったはずです(随分前の話ですが……)。
来年も何卒よろしくお願いします。