アパート秀峰苑

アパート秀峰苑(旧 百三十銀行中津支店?、現存せず)
大分県中津市古博多町1552/明治~昭和戦後期?/木造2階建?/2019~20年ごろ解体
福岡県に隣接する旧城下町・中津にあったアパート秀峰苑。かつての銀行を転用したとされる建物で、いかにも銀行建築らしい古典主義風のファサードと用途のギャップが印象的でした。ストビューを見ると2019年7月時点🔗では健在ですが、20年11月時点🔗では更地となっています。残念ながらこの間に解体されたようです。
以下は私の推測に過ぎないことにご留意いただきたいのですが……もとは百三十銀行中津支店として1908(明治41)年に建てられ、増改築を経て今日まで残っていたものではないかと思います。過去にも少し取り上げましたが、せっかくなのでもう少し詳しく見ていきましょう。
まずは確たる情報として、銀行支店の変遷を整理します。百三十銀行(本店・大阪)は1908年、大分県下毛郡中津町1552番地の1に中津支店を開設。23年に合併で安田銀行となった後、34年に同支店を十七銀行(本店・福岡)へ譲渡します。十七銀行は45年に合併で福岡銀行となった後、54年に別の場所へ移転。同年から60年までは、代わって正金相互銀行(同)がここで営業していました。
銀行支店の変遷 | |
---|---|
1908 (M41) 09.05 | 百三十銀行が中津支店を開設(下毛郡中津町1552番地の1) |
1923 (T14) 11.01 | 合併により安田銀行中津支店となる |
1934 (S09) 09.01 | 十七銀行が営業譲受、同行中津支店を開設(中津市1552番地の1) |
1945 (S20) 03.31 | 合併により福岡銀行中津支店となる |
1952 (S27) 02.25 | 正金相互銀行が中津支店を開設(中津市古博多町1554番地) |
1954 (S29) 07.20 | 福岡銀行中津支店が新築移転(中津市1700番地の9) |
11.09 | 正金相互銀行中津支店が移転(中津市古博多町1552番地の1) |
1960 (S35) 07.11 | 正金相互銀行中津支店が移転(中津市大字島田字大木213番地10) |
※出典は『正金相互銀行二十五年史』1977年、『福岡銀行年表』1995年。 |
福岡銀行と正金相互銀行の社史より、両行中津支店の沿革を抜粋。行名変更を含めて計5つの銀行が、約半世紀の間に入れ代わり立ち代わり支店を構えたことが分かります。そして、これら支店の所在地である1552番地はアパート秀峰苑と同じです(ちなみに古博多町は旧来の通称で、この辺の住所は市名の後に地番が直接付きます)。
アパート秀峰苑は一見して1960年以降の新築とは考えづらく、「銀行を転用した」という話は恐らく間違いないでしょう。その反面、建築時期については疑問が生じます。出典によれば1908(明治41)年の開設以来、同じ場所で店舗の建替えが行われた記録はありません。しかし建物を見る限り、明治期の建築とは考えづらいこともまた事実だからです。

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そこでヒントになりそうなのがこの写真。1940年刊行の『株式会社十七銀行六十年史』🔗に掲載された、当時の中津支店です。この姿ならば明治期の建築と考えても違和感はなく、むしろ納得がいきます。こうした和風の銀行建築は、特に明治期において全国各地で広く見られたものであり、しかも百三十銀行長浜支店🔗(滋賀県/1900・M33)という同じ銀行による事例が現存しています。
もっとも、肝心のアパート秀峰苑とは似ても似つかぬ姿であり、一体どこがヒントになるのかと思われるかもしれません。しかしこの写真からは、次のような特徴が見て取れます。
- 寄棟または入母屋造の瓦屋根
- 前面道路と建物の間に余裕がある

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一方、こちらはアパート秀峰苑の航空写真。ファサードはパラペットを立ち上げて陸屋根風に見せていましたが、屋根の後方2/3ほどは入母屋造瓦葺きです。実は和洋折衷というか、和風と洋風がくっついたような建物だったことが分かります。
先に列挙した特徴も踏まえると、前方の洋風部分は恐らく増築。そして後方の和風部分が、百三十銀行によって1908(明治41)年に完成したオリジナルだと推測しています。つまり、古典主義風のファサードは後年の増築によるものであり、本体は明治期に建てられた和風の銀行建築だったのではないか?という訳です。

増築時期については、少なくとも『十七銀行六十年史』の刊行後(=1940年以降)には違いないでしょう。これまた推測に頼るならば、たぶん1954(昭和29)年に正金相互銀行が移転入居した時ではないかと思います。古典主義を簡略化したような外観デザインはもちろん、福岡銀行と正金相互銀行の社史も大きな判断材料です。
先ほど表にまとめた通り、両行の社史には増築に関する記録は見られません。ただ、中津支店だけでなく他の営業店の沿革も読んでいくと、それぞれの社史の違いに気が付きます。福岡銀行は開設・閉鎖や移転だけでなく、新築(建替え)や増改築についても記録しています。これに対し正金相互銀行は、新築移転であっても単に「移転」と表記するなど、新築・増改築については一切触れていないのです。
仮に福岡銀行が増築を行ったとしたら、社史にその旨を記しているはず。したがって増築の記録が見られないという事実は、逆説的に正金相互銀行が増築を行ったことを示唆している……という理屈です。また同行は僅か6年足らずで再移転して出て行ったので、増築するとしたら最初に移転入居した時ぐらいかな?と思います。
その他、戦後期に福岡銀行の店舗営繕を担った某建築家の業歴に記録がないことも理由の一つに挙げられますが、いずれも確たる証拠ではありませんし、キリがないので割愛します。




ちなみに訪れたのは2015年の夏(⇒記事📄)。向かって左側は隣家に遮られ、そして右側はツタに覆われ、正面以外はあんまり拝見できませんでした。せめてツタの葉が落ちる季節に再訪したいなあ……と思って早数年。来歴に関する推測の真偽はさておき、もう一度見てみたかった建物です。残念でなりません。
【撮影年月】
2015年9月
【参考文献・リンク】
- 『株式会社十七銀行六十年史』十七銀行六十年史編纂委員会/同/1940年
- 『正金相互銀行二十五年史』正金相互銀行二十五年史編纂委員会/正金相互銀行/1977年
- 『創立50周年記念 福岡銀行年表』福岡銀行/同/1995年
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